介護・福祉

2015年10月6日

相談室日誌 連載399 セルフネグレクトの人の支援を通じて(大阪府)

 Aさんは六〇代で、困窮などの相談に来る独居女性です。介護していた母親が亡くなり、他に身内はありません。生活歴は語りませんが、文学に倣って話す世界観には「物質的なものより精神的な豊かさを求め正しく生きたい」という信念があります。
 でも現実は無年金・無保険。数十年医者にかからず、痩せて歯もまばらです。母との思い出が詰まった生家は、屋根が大きくへこみ、床がたわんだ壊れそうな老朽家屋です。わずかな貯蓄と不用品を売っての生活は、人間らしいとは言えず、生活保護などを何度もすすめました。しかし「掛け年数が足りなくても年金は出すべき」「法律より人命優先」と窓口で訴えてはあしらわれ、疲弊して私たちの所に来るのです。
 Aさんはある日、顔や膝に打撲痕をつけ、腫れ上がった腕でやってきました。自転車で転び、痛みで二晩眠れなかったと言いました。そして「世間と私の考えが違うと気付いた。普通に暮らしたい、役所に行きたい」と訴えました。すぐに生活保護申請に同行。しかし窓口でリバースモーゲージ(不動産担保型生活資金)のことを聞き、納得できなくなりました。以前も窓口で扶養調査を知り、申請を見送ったことがあります。今回も断念、府社協の独自事業で国保料の一部立替えを使って短期証を入手し、無低診で診察へ。骨折しており手術適応もありましたが本人が応じず、終診となりました。
 地域包括支援センターの仕事は、必要な制度利用や支援が受け入れられる土壌作りから始まります。数年がかりで働きかけ、やっと辿りつきそうな制度の入口でまた足をすくわれ、利用できない…の繰り返しです。地域には自分の人権を行使できない「セルフネグレクト」の人が多く、「社会の枠」に納まれず苦しんでいます。
 しかし、そもそもの「枠組み」は…。社会保障制度は申請・審査が基本です。人間らしい生活を望んでいるだけなのに、様々な条件が課され、プライバシーもなく調べ上げられ、主義信条は汲み入れられない。生存権が保障され、守られるために対応改善を求め、苦心惨憺しています。

(民医連新聞 第1605号 2015年10月5日)

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