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2016年2月2日

知っておこう 「お試し改憲」の突破口 憲法緊急事態条項はなぜ危ないか

 安倍首相は今年七月の参議院選挙で「憲法改正」を争点にすると表明しました。憲法に災害対策の「緊急事態条項」を新設することが必要、との説明ですが…。「緊急事態条項」は「国家緊急権」ともいわれ、緊急事態が宣言されれば憲法秩序を停止して政府が大きな権限を持つというものです。かつてドイツを独裁したナチスはこの条項を使いました。災害対策に詳しい弁護士に聞きながら考えます。(木下直子記者)

専門家に聞く―災害に必要?

 日本国憲法に緊急事態条項を追加する必要はあるのでしょうか?「不要です」。被災地の問題に詳しい津久井進弁護士(日本弁護士連合会災害復興支援委員会副委員長)の答えは明快でした。
 「日本には、いざという時の法の備えがすでにある」というのがその理由。自然災害に対しては「災害対策基本法」があり、諸外国と比べてもていねいに整備されています。また同法には「災害緊急事態」の章も設けられ、災害緊急事態の布告も規定しています。
 日弁連が東日本大震災で被災した主要な自治体に行った調査でも、緊急事態条項が「必要」だと答えた首長は一人もいませんでした。災害時に権限が国に集中すると、対応の妨げになります。地方自治体は「むしろ臨機応変に動けるよう、現場にもっと権限がほしい」という意見です。

■「他国に規定がある」の嘘

 では、「他国の憲法には緊急事態の規定があるが日本にはない。東日本大震災で迅速な対応ができなかったのはそのためだ」という話はどうなのでしょう。
 津久井さんの答えはこうでした。「日本の憲法は理念法で、もともと具体的な事項を書き込む仕組みではありません。歴史の古い国の多くがこのスタイルです。緊急事態条項を入れた憲法は、条文を何百も連ねた途上国などに多いのです。『他国は持っている』と比べること自体、正しくありません」。
 その上で津久井さんは災害時に行政が迅速に対応できなかったことを「憲法の不備」と結びつけることの誤りを指摘します。
 「最近の水害などでもそうですが、『災害救助法』や『災害対策基本法』など災害法があっても、訓練や備えがないと、いざという時に機能しないのです。対応の問題は、良い制度があっても使い方を知らず、想定も訓練もしていなかったことが招く結果で、憲法のせいではありません」。
 二〇一二年に自民党が発表した憲法改正草案を読んでも、安倍政権がこれまで憲法の字句を修正・削除・追加する「明文改憲」に挑んできた事実から考えても、自然災害は改憲の「口実」としか思えません。現に昨年、戦争法の強行後に自民党幹部が「改憲の本音は九条だが、国民の理解を得られやすい緊急事態条項からまず着手したい」と表明したとの報道も。

憲法を「停止」する?

 では、緊急事態条項そのものの問題は―。自民党憲法改正草案にあるのは次のような条文です。
 内閣総理大臣が緊急事態を宣言する場面を、自然災害だけでなく「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱」と規定(九八条一項)。
 そして九九条一項で、緊急事態の宣言があれば、内閣は「法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」、また内閣総理大臣は「財政の支出権と地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」としました(資料)。つまり、内閣に国会と同様の立法権を与えるのです。「国家が危機に瀕した時は、政府に全てを任せてしまう」ということで、戦前の日本の天皇の緊急勅令や戒厳令のようなものです。
 また同三項では、緊急事態の宣言があれば「何人も、法律の定めるところにより、国その他公の機関の指示に従わなければならない」と規定。続けて「憲法第一四条(法の下の平等)、第一八条(奴隷的拘束及び苦役からの自由)、第一九条(思想及び良心の自由)、第二一条(表現の自由)その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」とし、人権に配慮するかのように見せていますが、「侵害してはならない」とは禁じていません。
 「『人権に配慮』さえすれば、国民の人権を侵害して良い、というわけです」と、津久井さん。「憲法はひとりひとりの生命や財産や権利を守るよう、政府に命じるシステムです。市民の人権が危機にある災害時こそ憲法の出番。ところが逆にこうした憲法秩序を停止して『国や公共機関の指示に従え』というのは本末転倒です」。

■歴史が伝える危険性

 日本国憲法には九条があるため、軍事的な「緊急事態条項」も、それに関連する人権の制限も認めてきませんでした。
 なお、各地の弁護士会でもこの条項を盛り込んだ自民党の憲法草案への反対声明が出されています。「緊急事態条項を使えば、戦争遂行のために税金を集め、使うことも可能になる。地方自治体が管理する空港や港湾を政府が意のままに使えるようになれば、これもまた戦争遂行に便利になる」、「国家緊急権は、ひとたび創設されれば、非常事態という口実で濫用されやすくなる」など、戦争法との関連や民主主義の破壊を懸念する県連合会もあります。
 歴史をみても、緊急事態に政府が誤りを犯した例は少なくありません(別項)。

■災害のため、とだまされず

 昨年五月の衆議院の憲法審査会で、自民党は「優先的に議論すべき事項」として、緊急事態条項をあげました。公明、民主、維新の各党もこれに同調しています。
 「災害対策といえば国民もなんとなく納得し、メディアもさほど批判しません。安保法制(戦争法)も真実が伝わるまで少し時間がかかりました。まずこの問題を知らせていくことが大切」と、津久井さんは語っています。

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「自民党憲法改正草案」緊急事態法の他にこんな内容が

前文…現憲法の「不戦の誓い」「平和的生存権」は削除。「歴史」「文化」「伝統」などの言葉を入れ「国家のための憲法」の色彩が濃い
第1章 天皇…天皇を「元首」とし、国民に日の丸・君が代尊重義務を課す
第2章 安全保障…現行の「戦力の不保持」「交戦権の否認」は削除。「国防軍」を創設し、自衛権の名による武力行使、海外での武力行使に道を開く
第3章 国民の権利及び義務…人権に「常に公益及び公の秩序に反してはならない」という制約を設ける。家族の助け合いを義務に社会保障の国の責任は後退
第10章 改正…改正発議の要件を、両議院の総議員の「3分の2以上の賛成」から「過半数の賛成」に緩和
第11章 最高法規…基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」とする97条を削除。憲法尊重擁護義務者から「天皇」「摂政」を外し新たに「国民」を加える

緊急事態条項過去にこう使われた

ナチスの全権委任法
 ヒトラー率いるナチスドイツは、合法的な選挙で政権に就いた後、1933年3月に全権委任法を制定しました。81人のドイツ共産党議員をはじめ、同法案に反対する議員はすでに「予防拘禁」状態か亡命を余儀なくされ、国会に出席できない状態でした。さらに採決は、国会周辺を突撃隊・親衛隊が包囲する異様な中で行われました。
 同法の成立で、内閣が「緊急事態」を宣言すれば、国会での審議を経ることなく、内閣が単独で自由に立法権を行使できるように。当時、世界でも先進的だったワイマール憲法は、同法成立で効力を失いました。この後、ナチスは人権を制限する法律を次々と成立させ、戦争に突きすすみました。

関東大震災
 多数の外国人や思想家がデマによって虐殺されたのは有名ですが、これは旧憲法の緊急勅令(国家緊急権)が適用される中で起きました。

(民医連新聞 第1613号 2016年2月1日)

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