介護・福祉

2016年6月21日

06 男の介護 千代野さんと奮闘記 [ 著・富田秀信 ] 年が若すぎる

 倒れた妻が移った4つ目の病院では、退院の相談が医師やケースワーカーから出るようなってきた。通院でも身体高次機能のリハビリは可能だとの事だった。1年4カ月ぶりに妻が自宅に帰ってくるのは嬉しかった。
 しかし、どういう在宅介護が必要か? 家族はどう対応したら良いのか? 分らない事だらけだったので、「こういう時は福祉事務所だろう」と徒歩数分の南区総合庁舎を訪ねた。ひと通り、病状や家族の状態を説明し、何らかの支援制度の説明があるか? と思ったが、窓口からは「お宅の奥さんは年が若すぎます」のひと言だけ。私「…?」。聞き直したが同じ回答だった。私「それじゃ、どうしたら良いのですか?」。窓口「…」。
 予期せぬ回答で、頭真っ白状態。こういう事に詳しそうな知人数人に電話をしたが、「そうかもしれんなぁ~」。私「エエッ?!」。翌日、福祉事務所を再訪してみたが、全く同じ回答だった。
 京都市の高齢者福祉施策ではおおむね65歳以上が対象とされていた。当時50歳だった私の妻の場合、「年が若すぎる」ということだ。窓口の回答は「家族の甲斐性で介護しなさい」ということだった。「家族の甲斐性」って、どうするの? 私が退職して、介護に専念するのか? 子どもたちが学業を制限して介護にあたるのか?
 介護保険制度が導入される前だった当時、介護にかかる費用は高額だった。子どもたちが専門学校、高校、中学生とお金のかかる時期でもあった。薄給の民間人には、福祉を金で買う経済的余裕はとてもじゃないが無かった。
 病院のケースワーカーも事情を察知して、無認可であっても特別入所できる施設がないか、奔走してくれた。退院時期を、子どもたちの夏休みが終わる8月末にした。それまでに在宅介護、通所施設を何としても探さなければならなかった。何としても。


とみた・ひでのぶ…96年4月に倒れた妻・千代野さんの介護と仕事の両立を20年間続けている。神戸の国際ツーリストビューロー勤務。
近著に『千代野ノート』(かもがわ出版)がある。

(民医連新聞 第1622号 2016年6月20日)

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