介護・福祉

2016年7月19日

08 男の介護 千代野さんとの奮闘記 [ 著・富田秀信 ] 同じ境遇の人々と

  妻が倒れる前から、地元紙には何度か他愛もない投稿をしていた。妻のことを初めて書いたのは、倒れてから2カ月後の8月の日曜だった。この日は地域の地蔵盆で、近所は子ども中心ににぎわっていた。その朝の地元紙への投稿記事。近所の人々の話題にあがらないわけがない。「ご主人、今朝の新聞読みました」の声。
 それから、ことあるごとに妻の話題を投稿した。すると、必ず掲載されるようになった。100パーセントの掲載率だ。そうなるとどうか? 京都府内の読者で同じ境遇の家族から、新聞社経由で反響の電話が入ってきた。次第にその数は増え、反応も記事内容に沿う具体的な話になってくる。さらに当事者だけでなく、ボランティア団体や、福祉行政OBなど、関係者へと広がっていった。やがて、この方々とお会いする場の設定へと発展していく。拙文が人々を紡ぎ始めた。
 「はじめまして」とそうした人々と顔を初めて会わせたのは当時、「若年痴呆」と呼ばれる状態であったご主人と介護する奥さんの夫婦3組とわが夫婦。それぞれの経過から話し始めた。退職を余儀なくされ、家族内での介護の苦労話が切ない。
 初対面時は、まだお互い遠慮して、経済的な苦労話は出ないが、そのことに触れるようになるまでそう長くはかからなかった。親しくなることと、苦しい胸の内を吐露することは正比例した。
 堰を切って胸中を吐き出すだけで、その人の顔色が安堵の色に変わるのがわかる。内々でかかえ込まず、窮状を人に聞いてもらい、問題を他人に知ってもらうことで、問題解決が当事者の努力だけでなく、複数の人々や関連団体、つまり「社会」へ委ねられていく。「若年痴呆」という耳慣れない言葉が、社会に波紋を広げ始めた。


とみた・ひでのぶ…96年4月に倒れた妻・千代野さんの介護と仕事の両立を20年間続けている。神戸の国際ツーリストビューロー勤務。

(民医連新聞 第1624号 2016年7月18日)

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