事業所のある風景

2016年7月15日

民医連事業所のある風景 長野/塩尻協立病院

「思い」と「人」の世代継承を

 1993年12月に塩尻協立診療所が開設しました。その後4年間は順調に患者数は増え、小児から高齢者まで満遍ない患者層が来院し、地域の信頼も確立されました。診療所建設運動のときから病院建設を望む声は多くありました。理由は塩尻市の十分でない医療供給体制です。1998年当時長野県にあった17市の中で人口に対するベッド数は塩尻市がダントツ最下位でしたので、市民の中で入院できるベッドに対する要求は根強くありました。塩尻市の南部からセンター病院である隣市の松本協立病院までは峠を越えて20数キロあり、高齢の入院患者にとって負担となっていたのです。

地域住民の要望で病院建設

 急性期から慢性期医療、在宅医療、保健、福祉などさまざまな要求に対して総合的にこたえる施設体系を持つことが求められるなか、病院化を望む声が民医連運動をともに進めるパートナーである友の会員から強く出されるようになり、その数は4200人を超えていました。地域の医療要求が有権者の1割、世帯数の1割を超えて組織されたことになります。
 病院化が決まり、集まった資金は3億円にものぼりました。さらに1180万円の現金が診療所に投げ込まれるというエピソードもありました(警察に届けたのち建設に伴う道路拡張に使わせていただきました)。
 また建設工事を開始したところ、弥生時代や平安時代の遺跡がみつかったため(五日市場遺跡)、工事を中断し、発掘調査が行われ住居址や円形周溝墓が複数検出されています。

塩尻市内唯一の透析施設として

 2000年4月に病院化が実現し、現在は一般病棟42床、療養病棟57床の計99床。慢性期の高齢の患者と家族が「安心して医療・介護・福祉を受けることができる病院でありたい」と、「高齢者医療」「在宅医療」「終末期医療」を柱に掲げています。人工透析室は2012年に増床リニューアルされ(23床)、オンラインHDF(血液透析ろ過)を導入し塩尻市内唯一の透析施設として患者増を続けています。

医療連携を強化して

 塩尻市は2005年をピークに人口は減少していますが、65歳以上人口はその後も増加し高齢化は進んでいます。病院周辺半径5キロ圏内に内科系の開業医は約10医院ですが、後継者がいないことで閉院する医院もでてきており、医師の高齢化も深刻です。
 そうしたなか、古川院長の呼びかけで塩尻市東地区医療連携協議会を立ち上げ、定期的に開業医や施設・介護事業所と合同カンファレンスを開催。連携を強化し、在宅患者を協力して支えるとりくみを4年間続けています。また高齢者医療・認知症看護の質の向上をめざし、2014年には認知症看護認定看護師を誕生させました。職員をはじめ友の会主催の班会で講師活動をしながら、外来・入院患者の対応に力を注いでいます。
 友の会員とともに歩み発展してきた塩尻協立病院ですが、「思い」と「人」の世代継承が今後の課題です。

塩尻協立病院 事務長 中村 靖)

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