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2016年7月30日

特集|71年目の命題 ハルモニが伝える真実 ――日本軍従軍慰安婦問題

地図 昨年末、日韓両政府は突如「従軍慰安婦問題」の日韓合意を発表し、「最終合意だ」とした。ところが、被害者である元慰安婦たちには事前に一切の説明もなく、当事者を置き去りにしたものだった。被害者たちは今も当時の記憶に苦しみ、日本政府からの謝罪を待ち続けている。71年前、日本軍はアジアの女性たちに何をしたのか─。ハルモニ(韓国語で「おばあさん」)が証言する。

 

 

「毎日40~50人の軍人を相手にさせられた」

イ・オクソンさん

イ・オクソンさん

 1月25日、韓国の「ナヌムの家()」から二人の女性が来日。イ・オクソンさん(89歳)とカン・イルチュルさん(88歳)だ。彼女たちは第2次世界大戦中に日本軍によって連れ去られ、慰安婦にさせられた。今回の来日は従軍慰安婦問題について、未来の世代に正しい歴史と人権の大切さを知ってほしいと、全日本民医連も参加する実行委員会が企画。東京と大阪で計4回の証言会を開催した。

注…韓国にある従軍慰安婦の被害女性が共同生活を送っている施設。歴史資料館も併設されている。

亡くなった少女の悔しさを

 イ・オクソンさんは1927年、釜山生まれ。15歳の時に移り住んだ蔚山で日本兵に捕らえられ、中国の慰安所に連れて行かれた。イ・オクソンさんが語る。
 「慰安所では毎日40人~50人の軍人を相手にしました。1日は24時間しかないのに、それだけの人数を相手にさせられたんです。抵抗すれば殴られ、鞭で打たれ、刀で切りつけられます。銃で撃たれて亡くなった人もいました。
 私たちが血だらけになって抵抗しても、助けてくれる人は一人もいませんでした。慰安所での生活はあまりにもつらく、たくさんの人が自ら命を絶つという選択をしました。朝鮮から十数万人の少女たちが連れて行かれ、死にました。
 私はなんとか生き延びることができましたが、戦争に負けた日本軍は私たちを中国に置き去りにして逃げていきました。それから2000年まで、私は中国で生活しました。ようやく韓国に戻ったときには、親も兄弟もみんな亡くなっていました。家族は私が亡くなったと思い、死亡届を出していました。私は死んだ人間だったのです。
 日本政府は私たちがお金がほしくて自ら慰安婦になったと言いました。強制的に連れて行ったのではなく、慰安所では良い服を着せ、ごはんをきちんと提供し、良く面倒を見たと言いました。それならばなぜ、私たちは日本政府に謝罪を求めるのでしょうか。
 私は生き残ったから、皆さんと話し合えます。亡くなった人の悔しさまで、生きている私は伝えるべきだと思っています。人間は良心に従い、正しい生き方をしなければなりません。私たちは嘘をついていません。人が家畜や物のように扱われた慰安所での経験を、嘘だと言われた私の気持ちを考えてみてください」。

「頭には今でも残る傷が。人間扱いされなかった」

2つの国が協力して

カン・イルチュルさん

カン・イルチュルさん

 カン・イルチュルさんは1928年に尚州で生まれ、15歳の夏の終わりに中国に連行された。カン・イルチュルさんが語る。
 「私の家は車通りのある道にあって、柿の木が何本も生えていました。秋には柿がたくさん実る豊かな家でした。末っ子として両親や兄、姉たちにかわいがられて育ちました。
 中国に連行されて、両親に会いたいと泣いていると殴られました。沢山の暴力を受け、頭には今でも残る傷があります。慰安婦は人間扱いをされませんでした。当時の悔しさを思い出すたびに涙を流しています。なぜ私は(被害者として)この場にいなければならないのですか。
 ここに来てくれている皆さんには感謝しています。皆さんが(従軍慰安婦)問題解決のために努力してくれているのが嬉しいです。悪いのは日本人ではありません。私の頭に傷をつけた日本兵と、政府です。
 私は日本政府にも韓国政府にも怒っています。日本と韓国は思いをひとつにして、この問題を解決していかなければなりません。両国の人びとが自分の国を誇らしく思えるために、2つの国は協力しあわなければいけないと思います」。

悲劇を繰り返さないために

 時に声を荒げ、時に涙を流しながら訴えた二人のハルモニ。昨年末の日韓合意についても「事前に何の説明もなかった」と憤る。彼女たちが望んでいるのは、日本政府が直接ハルモニたちに謝罪をすることだ。現在まで、日本政府は従軍慰安婦問題の責任の所在を曖昧にし、法的責任も認めてない。日韓合意では歴史教育など、再発防止措置の約束も一切なかった。被害者の存在を無視しながら、岸田文雄外相は「最終的かつ不可逆的に解決された」とまで発言。
 証言会が終わり、控え室でイ・オクソンさんと話をする機会があった。証言会では韓国語で話していたハルモニが突然日本語で話し始めた。
 「(連れて行かれたときは)日本語が分からなかったけど、ぶたれるのが怖くて覚えた。戦争が終わって中国の田舎に55年いたから、一度も日本人に会わなくて(日本語を)忘れた。だけど、ナヌムの家に日本人が来るようになって、(体験を伝えるために)また覚えた。今も勉強している」。
 従軍慰安婦問題の真実を懸命に伝えるハルモニたち。その一方で安倍政権は加害の歴史を反省するどころか、歴史の真実を歪め、日本を再び戦争のできる国にしようとしている。カン・イルチュルさんは証言の最後に「戦争で傷つくのは国民です。二度と戦争が起きないように、韓国と日本が手を取り合って協力し、正しい国をつくっていくことを願います」と訴えた。

文・寺田希望(編集部)
写真・五味明憲

いつでも元気 2016.8 No.298

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