介護・福祉

2016年8月2日

09 男の介護 千代野さんとの奮闘記 [著・冨田秀信] 娘の変化

 倒れていた妻を発見した、当時中学1年生だった娘のショックは大きかった。学校では数週間、休憩時間に泣いてばかりいたそうだ。私は「娘に何かあれば、知らせてほしい」と担任の先生にお願いした。
 数年後の娘の手記には「早朝出勤の父が作ってくれるお弁当。もともと台所に立ったことのない父、当然おいしいとは言いがたいし、彩りがもうひとつ。お昼を一人で食べるのならまだしも、クラスメイトといっしょ、私のお弁当だけ浮いていました。でも朝早く起き、自分のお弁当作ってくれる父にそんな事言える訳がない。私は、お昼に落ち込むのを抑えるため、朝お弁当の蓋を開け、少し落ち込んで学校に行っていました」。
 妻をささえる人と人の「パッチワーク」は夕食メニューにも広がっていった。「最近ハンバーグに凝っている」とか「このカレーどう?」と、友人や近所の方の自慢の品が食卓に並ぶ。そして「これは明日のお弁当にも入れて」と、次第に娘のお弁当も、いろいろな人の豊かな味付けで広がっていった。
 そして妻が倒れてから5カ月が経った頃、ある新聞に我が家の事が大きく紹介され、それが娘の中学校長の目にする所となり、校長がなんと、その新聞を手に、娘のクラスで話をされたと聞いた。娘も娘なりに、自分と自分の家族への、いろんな応援の形を理解していったのだろう。
 その1年後、娘が入っていたバスケット部の3年生が受験準備で引退した時のことだ。「お父さん、キャプテンに選ばれた」と娘の報告。これまで人に励まされ続けてきた娘が、今度は人を励まし、引っ張って行く側に変化した。
 「もうこれで娘は大丈夫だ」と思った瞬間、親馬鹿の私の目から涙があふれた。


とみた・ひでのぶ…96年4月に倒れた妻・千代野さんの介護と仕事の両立を20年間続けている。神戸の国際ツーリストビューロー勤務。

(民医連新聞 第1625号 2016年8月1日)

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