いつでも元気

2016年8月31日

伊藤悟のひょうたん島便り Vol.12 連ドラとバラエティー

 NHK「朝の連続テレビ小説」にはまっている。朝の連ドラはヒロインの人生を半年間にわたり、三〇時間以上も描く。必ず自分の体験と重なり合うところが出てくるし、戦争を含む当時の社会とどう向き合っているかに注目しても興味深い。特に、実際のモデルがいる場合は原作や参考書も読んで生き方を学ぶ。
 ところが、いま放送中の「とと姉ちゃん」はどうもしっくりこない。脇役陣をはじめ、ヒロインの〝行動原理〟がきわめて分かりにくいからだ。
次々とヒロインが窮地に陥る。女学校でいじめを受け、会社で人として扱われず、ビヤホールでは因縁をつけられる…。この時、「悪役」がどうしてそんな行動をとるのかが説明されない。解決もパターン化されていて、偶然の積み重ねに委ねられてしまう。ヒロインは自力で活路を見出さないうえ、その意志も感じられない。
 たとえばビヤホールでは、ほとんど物語と無関係な謎の男女三人組に救われ、三人組は風のように去って行く。その場の面白さだけが重視され、「どうしてこうなるのか」というモヤモヤが残ったまま、すぐ次のエピソードになり後味が悪い。その場限りの事件ばかりだ。
 それでも、モデルがいないシリーズなら割り切って楽しむこともできる。だが、「とと姉ちゃん」のモデルは、花森安治とともに「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子さん。庶民同士の助け合いや日常生活を大事にしようと、新しい雑誌をつくった。彼女は戦時中、列車内でおにぎりを食べようとして周囲のきつい視線を感じ、みんなで分けて食べたという逸話もある。
 こうした彼女の性格をよく表している逸話は、ことごとくドラマに登場しない。時代とも微妙にずれた、作り物の挿話が入っては消えていく。彼女がリスペクトされていないようで、不快でさえある。モデルへの最低限の配慮は不可欠なはずだ。
 前作「あさが来た」では、モデル(広岡浅子)の性格を象徴するエピソードが忠実に再現されており、物語に溶け込んでいたのとは対照的だ。なんのことはない、バラエティーのようなつくりではないか。とはいえ、視聴率は好調だ。
 いまテレビのすべてが、「その瞬間さえ面白ければいい」というつくりになっている。この原稿を書いているのは参議院選挙の直前だが、ニュースも各政党の政策を表面的に比較するだけで、これからの私たちの〝行動原理〟などは追求しようとしない。本気で憲法が改悪される可能性を心配している人たちをも、ネタのように扱って終わりだ。
 すべてはネタでしかないのかと、ため息が止まらない。


いとう・さとる 作家、音楽評論家。『大人にも読める思春期ガイダンス』(明石書店)など著書多数

いつでも元気 2016.9 No.299

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