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2016年9月20日

第13回全日本民医連 共同組織活動交流集会in東海・北陸 ≪記念講演≫ 「いのちに寄り添う民医連と共同組織」 柳澤深志医師 人のために何かをすることほど素晴らしいことはない

 記念講演「いのちに寄り添う民医連と共同組織」は、石川・城北病院副院長で全日本民医連副会長の柳澤深志医師が行いました。「石川民医連、全国の民医連の職員や共同組織の皆さんとの関わりは、学生時代を加えると三二年に及ぶ」と自己紹介。“三人の息子への手紙”の形で、参加者に語りかけました。(丸山聡子記者)

 城北病院が「笑って死ねる病院」としてNNNドキュメントでとりあげられたのは二〇〇八年(翌年書籍化。昨年、新装版発売)。
 「医療崩壊」が叫ばれていた当時、番組では看護師たちが三〇代の胃がん患者とパチンコへ行く様子が描かれました。柳澤さんは看護師の言葉を紹介。「苦しみと闘っている患者さんが一瞬でも病気の事を忘れ、喜ばれている姿を見て、私たち医療者も励まされます」。

無差別平等の医療

 続けて柳澤さんは、同院や民医連が大事にしている理念に触れました。「“差額室料をとっていない”って、分かるか?」。病院が医療費と別に患者から徴収できるもので、特別室は一日五万円という病院も。
 「払える人は個室に入れて、払えない人は入れない、これが医療のあるべき姿か? 城北病院では差額室料を一切徴収していない。医療は無差別・平等に受けることができる。それがお父さんたちの病院のモットーだし、民医連の病院の理念だ」と話しました。
 四〇代で神経難病のALSを発症した女性の話も紹介。自力で立てなくなっても「自分でトイレに行きたい」と願い、看護師たちは多忙な中でもこの思いを大事に看護しました。
 「師長さんは『最も困難な人に光を当てると、それ以外の人にも光が当たる』とみんなを励ました。その一言に背中を押されてがんばったんだ」と柳澤さん。

共同組織とともに

 話題は共同組織の活動へ。「病院と一緒に医療や介護を良くしていく、かけがえのない仲間」と表現しました。
 二〇〇八年のリーマンショック後、失業者があふれ、金沢でもホームレスが激増しました。そんな男性の一人が、「困った時に相談にのってもらえます 金沢北健康友の会」と書いたカードを友の会員に手渡され、事務所を訪ねてきました。「困っている方に寄り添い、何ができるか、職員も交えて真剣に議論した。民家を利用した『まつもとてい』という居場所を作り、食事を提供し、生きがいセンターと名付けた」。
 医療過疎が深刻な輪島の友の会は、経済的に困難を抱える人たちのために新たなとりくみを始めました。
 「薬局でお金を払えない人のために、資金を集めて補てんする。『いつでも元気』の売上還元金から資金を確保するというんだから、発想がすごい」と柳澤さん。
 柳澤さんが研修医として勤務した寺井病院(能美市)では、毎月の班会や医療懇談会に参加しました。「医師は病院にいて、患者さんが来て治療して退院して外来で診る…という医師のありようのイメージが一新した」「最初の研修で医師としての魂が植えつけられた。共同組織は研修医の成長に協力している」と振り返りました。

次の世代の君たちへ

 「お前たちの話に移そう」と切り出した柳澤さん。「お金に困っていそうな友達はいないか? 貧困や格差の問題は深刻になっている」。
 同僚の莇(あざみ)也寸志医師が若い糖尿病患者で症状が進行している人が増えていると気づき、全国の民医連の仲間に声をかけて、病気の状態や生活、働き方などについて調査したことを紹介。
 「多くは低学歴で、親の仕事、経済状況が深くかかわっている。経済状況が健康状態に影響を与えていることがわかった」「健康に格差があってはいけない。憲法二五条にも書いてある」。
 「莇おじいさんに会った事があるだろう」と語りかけた柳澤さん。全日本民医連の名誉会長で、今も診療を続けている莇昭三医師のことです。「戦前に似てきた、だから声をあげないといけない」と言い、戦争の体験者として、医療界が戦争に協力し、戦後も反省していない問題を、世に問い続けています。

*  *

 最後に、手紙はこう結ばれました。「莇おじいさんが言うのは、『自分のいるところを深く掘れば、そこに泉が湧くんだ』ってことだ。一つのところで、じっとがんばる生き方もある。人のために何かをすることほど素晴らしいことはないじゃないか、って」。

■講演詳細は『民医連医療』一二月号でも掲載予定です

(民医連新聞 第1628号 2016年9月19日)

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