介護・福祉

2016年10月18日

14 男の介護 千代野さんとの奮闘記 [著・冨田秀信] プレート

 退院して1年4カ月ぶりに我が家へ戻った妻だったが、外出の際は、胸に「障害者です。ご協力下さい。富田千代野」と表に記し、裏に私の名前と携帯番号を書いたプレートを付けることにした。
 身体障害と違って、精神・知的障害の人は見た目でそうと分かりにくい。バスに乗ると、車内では、妻は音声アナウンスを繰り返したり、掲示広告を声に出して読んだりする。するとどうなるか? 乗客の視線が集まり、人が遠のく。つまり、相手にならないよう避けられる。致し方ないと私は思う。そんな時、胸のプレートを見た人は納得の表情に変わるのだ。障害をPRしているつもりではなく、お互いの気まずい時間を少しでもなくすつもりで始めたことだった。
 2000年4月に介護保険が導入されるまでは、妻は無認可、特例施設などにお世話になり、子どもたちも通所の送迎をしていた。私や、当時中学2年の娘は気にしなかったが、高校3年だった次男は辛かったようだ。思春期のいがぐり頭が、50過ぎのどうも雰囲気が違う母親の手を引いて歩いているのである。「電車内など見知らぬ人々は気にならなかったが、自宅近くでクラスメイトに母親の姿は見せたくなかった。だから道路を迂回して帰ってきていた」と、数年して次男は語った。子どもは子どもなりにがんばっていたのだ。
 変わった体験もできる。JRの「女性専用車両」だ。一般車両がいっぱいな時、空いているその車両に乗り込む。すぐに私は「何…?」という女性の視線を浴びるが、返答は妻のプレート。
 そんなこんなの妻のプレートも20年。すっかり地域や夫婦で出かける先では認知されるようになった。当初、妻の様子を知ってもらうためだった「発信グッズ」は今、福祉や医療で困っている人の情報キャッチの「受信グッズ」に様変わりしてきている。「困りごとは富田さんに相談してみたら?」と。
 それでは、彼女がプレートを着けていない時はどうなるか? それは次回。


とみた・ひでのぶ…96年4月に倒れた妻・千代野さんの介護と仕事の両立を20年間続けている。神戸の国際ツーリストビューロー勤務。

(民医連新聞 第1630号 2016年10月17日)

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