患者とともに生きる

長野医療生活協同組合 長野中央病院


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長野医療生活協同組合 長野中央病院
長野市西鶴賀1570
TEL:026-234-3211 FAX:026-234-3254
http://www.healthcoop-nagano.or.jp/

 JR長野駅から徒歩15分。長野市の中心繁華街からほど近い場所、昔からの商店と小さな飲み屋がひしめきあい、その隣の住宅の軒下には干し柿がつるされている、朝の香り、夜の香り、生活の香りが混ざり合った一角に救急センターとして昼夜問わず動き続ける長野中央病院はあります。
 着任から今年で28年、長野市のリハビリを支えた中野友貴医師は今日も患者とともに生きています。

患者とともに生きるとは…?

『お〜い』

 2008年11月1日土曜日 快晴
 笑顔で手をふる中野医師
 今年で17年目になる長野中央病院リハビリ農園収穫祭の日、今日は夏に植えた大根の収穫です。病院から車で約40分、戸隠山の麓にその農園はあります。今回は信州大学医学部の学生もボランティアで参加しました。

 バスからおりた患者さんたちは「今年の大根は良いできだ」と目を細めながら、早速大根を抜いていきます。
「傷物はこっちの山に積上げちゃだめだよ」
「ありがとう〜」
「医学生かい?おつかれさん!」
とにかく沢山の声があちらこちらから聞こえてきます。
 現場監督を務める患者さん。
 手を休める事なく大根を抜く患者さん。
 的確な指示でボランティアや慣れない職員を誘導する患者さん。
 長野の寒い秋風も吹き飛ばしてしまう元気溢れる農園に、学生ボランティアも驚きながら患者さんと一緒に作業を進めます。
 収穫された大根は一箇所に集められ、袋に詰める作業が始まります。袋詰めの作業が終了間近なその時、
「さぁ〜きのことりにいくぞ〜」
またまた中野医師の明るい声が畑に響きます。
 冗談かと思い振り返ると、医学生を連れ、中野医師はどんどんと山に入っていきます。その後ろから患者さんも笑顔で「先生〜この辺はもうないんじゃないかな〜」と続きます。
 道なき道を…
 口笛を吹きながら…

 きのこ採りから戻ると、収穫祭の本番大交流会です。
 一足先に収穫したそばと大根の煮物やサラダ、おいしいお酒と楽しい仲間、患者さんの出し物が続きます。
 一緒に参加した医学生は初めての農作業ときのこ採りの感想を求められ「こんな楽しいリハビリがあるなんて思わなかったです。また是非来たいと思いますのでよろしくお願いします!」と笑顔で答え、最後には中野医師と患者さんで作詞した「リハビリ農園の歌」の合唱と踊りで締めくくります。来年の収穫祭を楽しみに…
 あるリハビリスタッフが言います。「農園で気づくことってあるんですよ。麻痺した手に執着していた患者さんがこんな楽しいことができた、もっと楽しいことがしたい!と表情が明るくなったり、排泄は介助が必要でも畑での作業には自信があり、そこで活躍することで元気になったりするんです。室内のリハビリだけでは築けない患者さん同士の信頼関係、職員との信頼関係が農園で築けるんです」

人間どうしのつながりを求めて

 リハビリ友の会はリハビリ病棟が開設された翌年の1981年に結成されました。現在では200名を超す長野中央病院の中でも大きな患者会の一つです。
  友の会結成当初、中野医師は県庁や厚生省(現 厚生労働省)と交渉を行うような患者会にしたいと考えていました。しかし、患者さんたちの希望は全く違うものでした。「一泊旅行に行きたい」「温泉に行きたい」というものばかりでした。そこで、患者さんの意向を踏まえた日帰り旅行を企画したのです。旅行先での患者さんたちはお酒を飲んだり、歌を歌ったり、踊りを舞ったり。そうした姿を見て、「脳卒中になってもこんなこともできるんだ!もっと楽しんでいいんだ!」と中野先生は気づいたのです。それからは、お花見会、山菜採り、紅葉狩り、望年会、一泊旅行だけでなく、囲碁、合唱、太鼓など、サークル活動の幅が広がっていったのです。
 「外出の機会を作るだけでなく、より意欲をもって関われるリハビリはないか?」といつも中野医師は考えていました。17年前のある日、「農作業をやることはリハビリにつながるのではないか?」と閃いたのです。この提案を患者さんたちにした際には、「やりたくない」「農作業は大変」と冷たい反応でした。しかし、リハビリ農園が始まってみると周囲の反応は一変しました。患者さんたちは仲間と取り組む中で、「農業がこんなにおもしろいとは思わなかった。一人でコツコツやるのもいいが、大勢でやるのも楽しい」と生き生きと参加するようになったのです。
 「患者、医師という立場を超えて人間どうしの付き合いができるのがこのリハビリ農園を始め、リハビリ患者友の会の行事なんだよね。仲間と楽しむことはとても大きなリハビリになる。その中で生まれる目標は1人では決して見つけることのできない新たな生きがいだからね。僕は生きがいのある人生をおくることがリハビリの目標だと思っているから、リハビリが単なる機能回復訓練でないようにしたいんだ。何かを失った人間っていうのは強いから、いろんな困難を乗り越えられる」と中野医師は考えるようになりました。
 現在のリハビリ患者友の会は、生きがいを持って生活できる世の中を目指して、「長野市と交渉」などの活動も行っています。また、長野県脳卒中友の会連絡会、全国脳卒中友の会に加盟し、リハビリや医療情勢などについての情報を交換しあいながら交流の輪を広げています。

中野医師のモットー 「みんなで楽しく」の原点

 中野医師の「みんなで楽しく」の原点は医学部入学当初の踊りとの出会いにあります。受験勉強の中で仲間とともに力を合わせて何かをするということを忘れ、少し斜に構えていた時期でした。「どうせ」という思いで参加した合宿で、なんとなく笑顔が不気味で欺瞞的に見えた民族歌舞団の踊りがあったのです。先輩に、「理論はいいから、踊ってみろ」の一言で踊ってみたところ、額を流れる汗と体で表現することの心地よさに驚くほど解放される自分を実感することができたそうです。それから踊りを通じて出会った仲間と皆で目標を持って過ごした経験が今のリハビリ医としての治療、患者会活動に通じているのです。

INTERVIEW

「必要とされる医療を必要とされるところで」

田中:先生がリハビリ医になろうと思ったきかっけは何ですか?

中野:初めからリハビリ医になろうと思っていたわけではなく、研修を始めた当初、自分は外科系に向いているかな?って漠然と思っていました。初期研修を受けた東京民医連の柳原病院は、70床の病棟に年配の寝たきり患者さんがたくさん入院していて、その患者さんは皆といって良い程床ずれができていたんです。大学を卒業したばかりの僕にはとても衝撃的な光景で、指導医の先生に「大学病院には若い患者さんがいて多彩な症例があります。僕はたくさんの症例をみて勉強したいです。ここは床ずればかりじゃないですか!」と訴えたんです。そしたらその指導医の先生に「人間っていうのは年をとったら病気になる、それはごく当たり前のことなんだよ。だから入院患者に高齢者が集まって当然じゃないか。僕たち病院の使命っていうのは、この巷にある当たり前の病気を治療することだと思わないか!この高齢者の医療をどうするのか?というのがこれからの課題だと僕は思っている」と言われ、この言葉を今でも忘れないのは、必要とされる医療を必要とされる場所ですることが、医師として避けて通れない使命だと気付かせてくれた言葉だったからだと思っているんです。
 東京から戻って長野中央病院に着任した僕は救急車で運ばれてくる脳卒中の患者さんの多さにここでもまた驚かされました。脳卒中で倒れた患者さんに床ずれができてしまうことはまれではなかったのです。東京と長野での経験から僕は「ここで脳卒中の治療をしよう」そう決意してその当時血管撮影をやっていた宮城民医連の坂総合病院に脳卒中の研修にでました。
 宮城に研修に行ったら、やはり床ずれの患者さんが多くいましたが、それへの解答はみつかりませんでした。研修先の指導医の先生が脳卒中をやろうと思うならリハビリをみておけ、ということで東北労災病院に1ヶ月間リハビリ見学をして長野に帰ってきました。それまでリハビリっていう発想はなかったんですけどね。
 当時、長野市にリハビリ医療を行っている病院は無く、脳卒中の患者さんは市外のリハビリ施設のある病院に転院するか、家に帰って寝たきりの生活を送るしかなかったんです。市外の病院に転院するとなれば、付き添いの問題があります。すぐに家を空けて入院に付き添える家庭が圧倒的に少数なのは想像するまでもなく、そうなるとほとんどの患者さんがリハビリで回復する機会さえも与えられないまま寝たきりになるしかなかったんです。
 実はね、僕の父親は僕が中学2年生の時に脳卒中になり、入院していたのだけど、その父親の見舞いに初めていった時に僕の顔をみて泣き出しました。それまでの僕の中での父親っていうのは、ホテルの支配人で、書道も上手で、貫禄があってね、かっこよかったんです。とても尊敬していた父親の変貌にまだ子どもだった僕はこんなにも変わってしまうのか…とショックを受け病院の廊下で涙が止まらなかった経験があります。今思えばリハビリを受ければ自立できたなと思うんですよね。まぁとにかく今長野市で必要なのはリハビリだと確信し、「脳卒中をやるならリハビリだ。ここで治療してここから帰そう」とリハビリ医になる事を決意しました。リハビリをすれば寝たきりにならない、寝たきりにならなければ床ずれはできない、ということも発見できたんです。父親を意識してリハビリ医を目指したわけではないのだけど、潜在的にあったのかもしれないな、と後になって思っているんです。

田中:新しく診療科を開設するのは大変だと思います。当時を振り返り苦労したことなどありましたら教えて下さい。

中野:そうですね。今では30名以上のリハビリスタッフに支えられているけど当時はリハビリをやるといってもリハビリスタッフはいない、ひな形もない、最初は心細かったですよ。初めは僕と看護師とマッサージ師しかいなかったのですから。でも、今考えると看護師さんは最初から3度の食事はベッドではなく食堂で、オムツではなくポータブルトイレでの排泄という努力をしていましたから今のリハビリ科の基礎を作ったのは看護師さんとも言えます。
 それから山梨民医連のリハビリの先生が月に1回支援に来てくれたり、大学病院の総回診に参加して教えてもらったり、そのうち専門スタッフも集まりだして、何とか形になってきました。そして、リハビリ科を立ち上げて3年後には家屋訪問を始めました。病院でできても家に帰ったら環境が違うわけですから、医師・看護師・リハビリスタッフで患者の家に行き、この段差は危ないとか、本当に家に帰れるのかチェックするんです。家屋訪問を行うことで、リハビリというのは難しい理論ではなく、家に帰るための実践の積み重ねだと強く確信しました。ですから今でもとても大切にしています。あとは、何よりもリハビリ科を開設する僕を病院が応援、協力してくれたのは力強かったです。

田中:モットーはありますか?

中野:僕らには「最大限自立させよう」という当初から変わらないモットーがあります。とにかくリハビリっていうのは家に帰す準備だから何より排泄自立にこだわりました。おむつを使用せずポータブルトイレを使う、そこでポータブルトイレへの安全な移動に必要な「らくらく手すり」や「スーパーらくらく手すり」を開発しました。改良を重ねて今の形になったんだけどそういう工夫でADLがアップし、今まで排泄できなかった人ができるようになるその喜びは大きいですよね。
 ポータブルトイレに自立→車イスでトイレ→歩いてトイレ
 段階的に低い段階から高い段階へアプローチしていく、これを僕らは「自立重視型排泄アプローチ」と言っています。今、他院の回復期病棟では昼間はポータブルトイレを使用しないで介助でトイレまで行き、夜はポータブルトイレを使えば良いという病院がけっこうあるんですけど、昼間こそ最大限の努力ができる状況で基礎的な課題であるポータブルトイレに挑戦し、それがクリアできて初めて応用的な車イスに進むというのが自然な流れだと思うのです。そのために患者さんが自立できるための道具の工夫を28年間やってきました。患者さんのために道具の工夫をするのもリハビリ医の仕事の醍醐味なんです。車イスで移りやすい「前手すり型車イストイレ」ができて、患者さんが「これは良い」と言ってくれた時は嬉しかったですね。

田中:印象に残っている患者さんはいますか?

中野:そういえば僕の床ずれ治療に大きなヒントをくれた患者さんがいました。とても体の大きな60代の男性で、脳卒中で寝たきりの生活を送っていたんですけど往診に行っても床ずれはできていないんですよ。当時、床ずれ予防には2時間おきの体位交換をしなければならないと言われていたので、ある日奥さんに聞いたんですよ。“2時間おきに体位交換をしているの?”って、答えは“体位交換って何ですか?一切そんな事はしていません”でした。体位交換をしていないのに床ずれができない、なぜだと思います?

田中:わかりません…

中野:その患者さんの布団はそば殻で出来ていたんです。奥さんはマメな人で1年に2回そば殻をいれかえていた、そば殻は一定のクッションがあるから仙骨のところに体重がかかると分散するので、床ずれにならないんです。そば殻というのは伝統医療の知恵だったのでしょうね。これだ!と思って自力で寝返りのできないような重症患者さんには体圧を分散させるマットを使用することにしました。そうしたら床ずれができないんです。適切なマット工夫すれば床ずれはできない!僕の最大のテーマであり、原点でもある床ずれはリハビリする事とマットの工夫で大部分が解決しました。

田中:リハビリスタッフがいて看護師がいてリハビリ医は日中どんな仕事をされているのですか?

中野:まず入院した患者さんを診ています。どんな障害を持っているのか、どんな家庭や社会的背景を持った人なのか、今までどんな病気を持っていたのか。そういうのを総合的に判断して、きっと歩けるだろうとか、トイレ自立がやっとかな、とかの見通しを立てるわけです。PT(理学療法士)やOT(作業療法士)、看護師、ケースワーカーもそれぞれ患者さんを評価しますから、皆の情報を集め、回診とかカンファレンスで全体像を掴み、意思統一して退院時のゴールを決めたり、修正したりして治療にあたっていきます。それを患者さんや家族に伝え、心の準備や態勢の準備をしてもらうわけです。スタッフ皆が、治療の進み具合と方向に確信を持って進めるようにするのが医師の役割ですね。
 また、臨床の研修をまとめ、学会に報告してきました。毎日忙しく仕事をしていますが、まとめてみると新しい発見が結構あるんですね。それを学会に報告するのは楽しみですよ。「俺はこれが価値あることだと思う」みたいな、メッセージ性のある報告ができるようにまとめています。あまり、注目されていないと思っていましたが、昨年、関西の泌尿器科の先生のグループから講演の要請が来て行ってきました。いろんな意味で評価されてうれしかったですね。

田中:リハビリの日数制限とか、診療報酬などについて何か思っていることがありますか?

中野:今の保険制度にはたくさん問題があり、言いたいことはあります。療養型病院の点数が下がって、やっていけなくなり病院が閉鎖、たくさんの重症患者さんの居場所がなくなってきていることは、リハビリ医ばかりか、医師全体にとって大きな問題です。老健施設も担当していますが、来年の介護保険の改定でより重度な患者を老健施設が受けなければならなくされそうですし、患者負担も増えそうです。今、経営もとっても困難な状況です。暮らしていけないような給料で介護職を使い捨てにするのが前提の制度になっています。こんなのおかしいですよ。一方で、建設会社がバックについて高額な契約金を要求するような有料老人ホームも出来てきています。そういう選択をせざる得ないところに老人を追いつめている日本というのは本当に政治が貧困だと思いますよ。

田中:最後に医学生へのメッセージをお願いします。

中野:吉田太郎さんの「世界がキューバ医療を手本にするわけ」という本を最近読んで感動しました。この本を読んで、欧米の医師は自分のステータスをあげて自分の価値を高めるということにこだわっているけれど、キューバの医師っていうのは違う、給料が安くても医師としての使命が果たせる場に行って地域の人たちが健康になれるために働こうという志を持っている、というのです。
 この本がきっかけで、「病む人たちのためにいかに働けるか」ってことが大切なのだと初心を思いだした医師は少なくないと思います。これから、認知症や障害をもった高齢者の問題が高齢化社会に向かいもっと大きな社会問題になっていくと思っています。大きな問題にはたくさんの医師が必要ですがこの問題に取り組もうという医師はまだ少ないです。
 勇気を持って高齢者問題をみつめ、取り組む道に進んでくれることを望んでいます。
 あとは是非、多くの医学生にリハビリ医の仕事を見にきてほしいと思っています。

田中:今日はどうもありがとうございました。


※診療報酬改定問題=2006度の診療報酬でリハビリの日数制限が新設された。それまでは制限なく行う事のできたリハビリ医療は、医師が「改善が期待できる」と判断した失語症など一部の特定疾患を除き90日?180日のと日数が制限された。リハビリには通常、発症直後に病気の治療と並行して行う急性期、病気の治療が一段落して身体機能の回復を目指す回復期、症状が安定してからの維持期に分けられる。この「維持期」の患者は介護保険に移行され老人保健施設や通所リハビリ、自宅での訪問リハビリで対応するように示された。この日数制限には医療関係者や患者団体が反発し、反対運動が各地で起ったため2007年度の改定では特定疾患以外でも医師が必要と認めた場合にリハビリを延長する特別措置と維持期の患者向けに月2回を上限とする「リハビリテーション医学管理料」を新設した。更に2008年度の改定では日数を超えた場合でも月に13単位までは算定できるようになった。

※ ADL(日常生活動作)=食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動。・自立・一部介助・全介助のいずれかであるか評価することで障害者や高齢者の生活自立度を表現する。

中野友貴医師●プロフィール
【なかの ともき】 長野県出身。1977年東北大学医学部卒業。東京・柳原病院にて初期研修。長野・長野中央病院支援。その後、宮城・坂総合病院にて専門研修を行い1980年12月長野中央病院にてリハビリ科を開設。現在、長野中央病院副院長を務める。趣味は幅広く、囲碁、似顔絵、きのこ採りなどなど。

杉原大輔
すぎはら だいすけ●長野中央病院 医療福祉相談室長
 当院回復期リハビリ病棟は、現在56床となっています。その患者さんの総合的な管理の中心となっている医師が中野先生です。日々の業務は、外来・病棟・老健と休む暇もなく仕事をしています。
 約80%が脳血管疾患患者であり、特色を持ってリハビリを展開しています。患者さん個々の能力を少しでも高められるよう自立を目指してリハビリに取り組んでいます。当回復期病棟の約75%の患者さんが院外からの紹介であり、地域におけるリハビリとしての役割を担っていることが分かります。また約80%の患者さんが自宅退院しています。
 最近では、若年発症者・貧困者などの患者さんも増えているのが現状です。個々のケースに対して、形式的な対応でリハビリを進めていくのではなく、身体状況に社会的背景まで視野に入れたリハビリを実施しています。そんな中で、「市役所と掛け合おう」と私たち相談員より熱のこもった問題提起をしてくれるのも中野先生です。今後、回復期リハビリ病棟として、患者さんを生活者として捉え、他職種であらゆる角度・視点からアプローチし、地域に戻すような仕組みをより一層充実させる必要があると考えています。
 また、中野先生は、脳卒中リハビリ友の会の中心的存在でもあり、多忙ながらリハビリ農園・一泊旅行などの企画を大切にし、利用者さんと一緒に楽しんでいます。職員から見ていても、どちらが利用者なのか分からなくなることも多いです。そのユーモラスな面が、患者・利用者に慕われる点なのかと考えています。

インタビューを終えて

田中 孝明(たなか たかあき)●信州大学医学部5年

 「病気ではなく人を診る」医者としての志を問う中でよく聞かれる言葉だが、今回のインタビューの中でそれをみたような気がした。
 中野先生がリハビリ医療に取り組んだ経緯、その中で一進一退した経験、今後の展望など、先生の自分史を聞かせていただいた今回のインタビューであったが、その中には常に患者さんがいたように思う。寝たきりの患者さんばかりがいた研修時代。「その患者さんたちに自分は何ができるか?」との答えとして選んだリハビリ。そして、患者さんの要求をかなえるために立ち上げたリハビリ友の会。先生の中には常に「みんなは何を望んでいるのだろうか?」という自問自答があったのだろう。その答えとして、今年もまた、たくさんの大根と、たくさんの患者さんの笑顔に結びついている。
 医師不足、医療崩壊が叫ばれている昨今、これから自分が進もうとしている道には、多くの問題と多くの期待があるのだろう。そんな声に応えるためにも、常に人を見ていきたいと感じた。

木下 真理子( きのした まりこ)●長野民医連・諏訪共立病院 心療内科医師
諏訪共立在宅療養支援診療所所長
香川大学1994年卒 Medi-Wing編集委員



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