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民医連新聞2011年10月17日/1510号
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かあさんの「ほのか」な幸せ〜眠りっこ子育てetc.〜

(10)「支援」とは、「あたしのかたち」の巻

文:西村理佐

 「制度のためにほのちゃんがいるのではなく、ほのちゃんの生活のために制度があるのです」と、「送迎問題」に頭を悩ませていたところ、とある支援相談員さんに教えられハッとした。
 これまでずっと願ってきた、帆花のような超重症児でも利用できる預かり事業が市内で始まり、9月から元気に通い始めたのだが、現在の制度では「送迎」の支援がない。そこには「移動」にまつわる制度の大きな穴があった。
 いまある支援事業は、病院に行く際の「通院介助」と、余暇目的でしかも親の同行が必要でない子が利用する「移動支援」。それにあてはまらない通園・通学などは、「生活サポート事業」というものを利用するようになっているそうだ。今回、帆花を預かってもらう「日中一時支援」というレスパイト事業は、「移動支援」が認められず、そもそも帆花は常にたん吸引と見守りのために親の同行が必須であるから、その時点で利用できない。その根拠はよく分からない。全然、分からない。つまり、ざっくり言えば帆花のような子は、病院に行くとき以外は支援できません、ということになる。
 そんな「送迎問題」にぶち当たって考えたこと。そもそも、「支援」ってなんだ、誰のためのもので、何のためなんだ、と。超重症児と呼ばれる子どもと親にとって、その必要性が認められた「日中一時支援事業」であるのに、「通う手段がない」という事態は、完全に「支援」というものの本質が見失われている。
 きっと「送迎問題」は氷山の一角。支援を必要としている人たちはみな、個性を持った「ひとのかたち」をしている。それを画一的な「制度のかたち」に無理矢理あてはめようとするから、おかしな「解釈」が生まれ、支援の過不足が生まれ、本人の生活は窮屈になってしまう。まず、「あたしは、あたしのかたちをしています」という帆花の声に耳を傾けるべきだった。「帆花のかたち」で支援を求めることが、きっと誰もが住みやすい世の中をつくることだと信じて進もう。

 

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