民医連新聞

2004年11月1日

「平和と医療・福祉を学ぶアジアへの旅」 見てきた戦争の傷跡 語り合った医療人の思い

全日本民医連 創立50周年記念

 全日本民医連は、創立50周年を記念して、「平和と医療・福祉を学ぶアジアへの旅」を実施しました。訪れ たのはベトナム(9月16~21日)、中国(9月18~22日)、韓国(10月10~15日)の3カ国。「旅への抱負」を書いて応募し、選ばれた青年職員 と共同組織、計66人が参加しました。各コースの青年職員の感想を紹介します。

罪なき子どもたちが戦争の後遺症に苦しむ

ベトナム

 ホーチミン着。二日目はホーチミン市医科大学病院を訪問、ベトナム戦争の実態を伝える戦争証跡博物館を見学。三 日目はハノイの枯れ葉剤被害児の治療・教育訓練施設「平和村」を訪問。四日目は医療関係者との懇談。最終日は地域の医療センターや日本軍の強制食料徴発に よる「二〇〇万人餓死記念碑」を訪れ、帰国。

 私は、一九七七年生まれで、戦争を知らない世代です。一九六〇~七〇年代に、アメリカの武力介入から民族の自立をかけてたたかったベトナム戦争に関しても、映画などでなんとなく知っている程度でした。

 今回、ホーチミンの戦争証跡博物館を訪れて、ベトナム戦争の実態を目の当たりにして絶句しました。 「米兵が子 どもや女性を虐待している」「幼い兄弟が爆撃から逃げている」「枯れ葉剤を浴びた親から生まれた奇形児」などの写真は、どれも「戦争は悲惨であり、憎しみ しか生まれない」という強烈なメッセージを発していました。

 米軍は抵抗するベトナム人が潜む森林を枯らすため枯れ葉剤を撒きました。それには猛毒のダイオキシンが含まれていました。

 戦争で多くの人が殺され、戦後も後遺症に苦しむ人がいて、深い傷跡を残しています。枯れ葉剤の影響は、いつまで続くかわかりません。子どもたちには何の罪もないのに…。

 「平和の村」を訪ね、障害を負った子どもたちと交流しました。みなとても愛らしく、その笑顔が目に焼き付いています。

 障害を持つ子どもたちは、分かっているだけで五〇万人にのぼります。専門施設に入れる子どもは、ほんの一部なのです。施設への国からの予算は日本円で五〇〇万円ほど。設備もかなり不十分な印象でした。

 医療機関では、地域の拠点であるバクマイ病院など、三カ所を訪問しました。経済的にも国からの予算には限界があり、日本の医療のレベルとはかなり差があると感じました。

 国民皆保険制度や市民健康診断に相当するものはなく、お金がない人は、医療が受けられない実態もあるようでした。日本の医療制度の大切さを思い、守り発展させなければいけないと感じました。(清家宏二、千葉・今井町診療所、事務)

過去の歴史から学ばない日本の政府

韓国

 ソウル着。二日目は環境・平和問題にとりくむ市民団体との懇談。グリーン病院の訪問と職員との交流。三日目は独立記念館、西大門刑務所跡を見学。四日目は慶州へ、五日目は釜山へ移動し、市内を見学、帰国。

 市民団体の人たちは、環境問題だけでなく、反地雷運動も、不正をした国会議員を落選させる運動なども、世論に訴える活動をしています。国内のことはもちろん、日本にいる米軍のことや日本の歴史についても、よく知っていることに驚きました。

 グリーン病院は、想像以上に設備も整っていて清潔感がありました。そのような病院があっても、お金がなくて受診できない人たちが約一八〇万人もいるのです。そのほとんどの人は、家で悲惨な状態で亡くなると聞き、日本と同じような問題があることを知りました。

 独立記念館や西大門刑務所跡では、日本では学べない朝鮮への侵略の実態を学びました。とても惨たらしく、目を覆いたくなる光景ばかりでした。

 日本人は、先の戦争で自分たちが傷ついたことを問題にします。ところが一方で、アジアの国々に戦争をしかけ、多 大な惨禍を与えました。 その反省と多くの人びとの犠牲から、「二度と戦争を起こさない」と誓った憲法があるのに、政府は「有事法制だ、自衛隊派兵だ」 と、少しも過去の歴史から学んでいません。それが情けなく、政府を変えられない悔しさで、胸が張り裂けそうでした。

 韓国では、米軍の戦車に女子中学生が轢殺(れきさ)される事件が起きた時、同世代の子どもたちも立ち上がり、米 軍や政府、大人に対して「何で私たちの友人が死ななければならないのか!」と抗議したそうです。それに比べて日本政府や少なくない人たちが、アメリカの言 いなりになってしまっているように思います。

 この旅を通して学んだことを自分だけのものとせず、周りの人にも伝え、いっしょに学習していきたいです。(浦上昭子、福岡・千鳥橋病院附属歯科診療所、歯科衛生士)

医療を受けるのにお金を借りる農村民

中国

 瀋陽着。日本軍による平頂山村民の虐殺の跡を残した展示館を見学。二日目は瀋陽市の衛生局と懇談、遼寧省の漢方 専門治療院と地域診療所を訪問。九・一八歴史博物館を見学、ハルピンへ。三日目は日本軍七三一部隊の残虐な実態を伝える陳列館を見学、大連へ。最終日は大 連鉄路病院を訪問し帰国。

 何度か行った中国ですが、今回は日本の侵略の跡を知ることが目的。

 平頂山では数え切れない遺骨を見て、残酷な生体実験を行った七三一部隊の罪を証す陳列館へ。身を切られる思いで、人が人間性を無くしてしまう戦争の恐ろしさを痛感しました。

 この歴史は、日本の教科書にはほとんど載っていません。しかし中国では、小学校に入る前から教育されます。平和を当然のように感じていた自分が恥ずかしく思えました。

 中国の医療事情も聞きました。

 瀋陽は中国東北三省で最大の都市。建設中の建物が多くある中に、七〇〇〇年も前の歴史ある建造物が残されていま す。他の都市に比べると医療レベルは高いそうです。医療機関はほとんどが都市部に集中し、人口七二〇万人のうち、医療従事者は六万二〇〇〇人。人口一〇万 人に対する医者の数は、日本の約二倍という説明に驚きました。医療機関の数も多く、ほとんどが国営。想像していたよりも充実しているように感じました。

 問題は医療保険です。「皆保険ではなく、都市部以外の農民は医師に診てもらう金もない。生活保護も農村部には普及していない。農村の人が医療を受けるには、友人や親戚から金を借りる」と聞きました。人口が多すぎるためか、医療保障レベルは遅れているようです。

 北京の知人の話では、高血圧で一〇日間通院すると、医療費負担は六割で、六〇〇元(日本円で一万円弱、月の収入 は一万五〇〇〇~二万円)。風邪くらいでは病院へ行かないし、どの都市でも薬店が多いことが理解できます。金がないと医療を受けられない現実に考えさせら れました。

 同行した現地のガイドさんが終始、「日本には民医連があっていいですね。中国にも欲しい」と言っていました。民医連の存在をあらためて実感しました。(上條弥生、長野・塩尻協立病院、看護師)

(民医連新聞 第1343号 2004年11月1日)

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