民医連新聞

2004年11月1日

健康調査で「認定訴訟」を支援 〝被爆者ささえよう〟と医学生、青年が積極的に 熊本民医連

 2002年、日本被団協の呼びかけで始まり、全国12カ所の地方裁判所で審理が続いている「原爆症認定集団訴訟」。熊本では、裁判勝利の重 要な証拠となる被爆者・非被爆者比較健康調査にとりくんでいます。熊本民医連では調査への参加はもちろん、プロジェクトチームの事務局に職員を派遣するな どの活動をしています。

 職員にとって、この調査への参加は、被爆の追体験には遠くおよばないまでも、被爆者の心の痛みをわずかながらも 受け止め、世代を超え語り継ぐ大切な機会になっています。また被爆者にとっても貴重な場です。「心の奥深く封印をしてきた悲惨な思いを、人生の最後に話せ て良かった」と涙ながらに語る人もいました。

非被爆者のデータも収集

 熊本民医連では、裁判所に提出する被爆者の医師意見書(診断書)の約半数を担当しています。日ごろから被爆者の健康管理に深く関わってきたからこそできることです。

 来年、被爆六〇周年を迎える高齢の被爆者が訴訟を起こしてまで政府に原爆症認定を求めるのは、認定基準が納得で きないからです。二八万人の被爆者は様ざまな病気で苦しんでいます。これまでに原爆症と認定された人は一%にも足りません。というのも爆心地から約二㌔ま での近距離被爆しか認められていないからです。遠距離被爆や入市(被爆後、市内に入り救援などにあたった)被爆者は除外しています。

*  *

 そこで、これらを含む被爆者と、非被爆者の集団を調査し、両者の違いを一目瞭然にして裁判所に提出したい、と始めたのがこの健康調査です。名づけて「プロジェクト04」。

 被爆者三〇〇人、同世代の非被爆者六〇〇人(被爆者の二倍)分のデータ集めが目標。一〇〇項目にも及ぶ質問で、 病歴、被爆状況や生活歴などを聴き取ります。この中で、遠距離や入市被爆者にも「急性症状」が出ていたことが明らかになりつつあります。これらの聴き取り に加え、医師がチェックする二段階の綿密な調査をしています。

 参加者は弁護士、医師に加え職員や医学生、市民。すべてボランティアです。会場は熊本市のくわみず病院に限ら ず、八代や遠く天草のクリニックにもおよび、この間、職員の参加だけでも四〇〇人を超えています。その中心になっている青年職員は弁護団や医師団の会議に も積極的に参加し、JB実行委員会では裁判支援の呼びかけと討議を行いました。

認定行政を変える力に

 現在、調査の解析がすすめられていますが、結果は裁判の勝利と認定行政を変える大きな力になるはずです。そして、この運動は、原爆の大量破壊性、非人道性、残虐性も明らかにします。

 この裁判は、多くの苦しみと不安を抱え生きてきた被爆者の人生の証を求めるものです。単に手当の支給だけを求め るのではなく、「原爆の被害を過小評価せず苦しみをありのままに認めよ!」という被爆者の願いの実現です。被爆者が裁判で掲げるスローガンは、「再び世界 のどこにも被爆者をつくるな!」です。

 命の尊さを見つめる医療人として、また平和を願う集団として、被爆者の思いを受け止め、この調査の成功と裁判勝利のために最後まで原告とともに歩みたいと思います。

(文・平和クリニック看護師、川端眞須代)

(民医連新聞 第1343号 2004年11月1日)

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