民医連新聞

2004年12月6日

医学生8人が被災地支援に新潟へ ”自分たちも何かしたい”と話しあって

 【福島発】新潟県中越地震の被災地に福島県立医大の医学生八人が駆けつけました。彼らはテレビや新聞で報道されている被災地や住民の不安を知って「自分たちも何かしたい」と福島県民医連に自主的に申し出てきました。
(県連医学生担当、及川敏也)

 当県連は地震発生直後から、支援活動を行っている民医連の活動や被災地の様子を、つながりのある医学生たちに、メールなどで知らせていました。

 学生たちは相談し、「ボランティア活動に参加させてほしい」と、連絡してきました。メンバーは民医連の奨学生やその友人など一~四年生の八人。「自分ひとりでもボランティアに行くつもりだったが、行く方法がわからなくて。知り合いの奨学生からきいたので」という学生も。

 職員二人とともに、ボランティアで現地入りすることになりました。

* *

 一一月六日朝三時半、総勢一〇人が、二台の車に分乗、福島市を出発しました。長岡市のかんだ診療所に到着したの は、八時半。民医連から来ていた支援も全体で二〇人前後、支援の場が医療から生活へと移っていく中での参加です。一日だけで帰るA班と二日間活動するB班 に分かれて、ボランティア活動に入りました。

 A班は主に長岡市の組合員さん宅の片づけを手伝いました。B班には、長岡市の隣にある越路町の組合員さんを訪問し、安否確認や必要なことを聴きとる仕事が依頼されました。うがい薬や生卵などをたずさえ、約一五軒、地図を頼りに訪ねていきました。

 まだ余震も続いていたときで、亡くした家族のお葬式が出せていないというお宅があったり、強い不安を訴える方が目立ちました。「出発前にみたニュースでは『避難民も減った。ずいぶんおちついてきた』と報道していたのに、実際は違う」と、話しあいました。

 B班はさらに翌日、新潟民医連にボランティアを申し出てきていた看護学生一人と合流し、川口町に入りました。

 町のボランティアセンターに登録、民間ボランティアとして参加しましたが、そこには二〇代を中心に、七〇〇人(!)以上が集まっていました。青年たちは呼びかけられた仕事に積極的に散っていきます。

 私たちは避難所巡りと、住民の片づけを手伝い、廃材やゴミ運び。長岡市よりも被害が大きかったので一日中働きました。

 「少しでも励まそうと来ましたが、逆に私たちが励まされました。医療生協の活動にとても共感したし、助け合うこ との大切さを感じた」、「ニュースで見ているのと、実際に現地で体験するのは大違い、住民の暮らしが非常に大変なのがよく分かった」、「こういう体験はな かなかできないので、よかった。またボランティアに参加したい」というのが学生たちの感想です。


 

義援金など全国からの支援状況

★新潟中越地震

 新潟への支援者はのべ1500人を超えました。全国の事業所や共同組織などから寄せられている義援金は、約3100万円を超えています。

 全日本民医連対策本部は、医療支援などの人的支援は終了し、引き続き、募金への協力をよびかけています。

[振込先]

大光銀行新潟支店(002)
普通口座 2214175
中越地震義援金 大越実


★台風23号兵庫・ろっぽう診療所水害

 豊岡市・ろっぽう診療所の被害の支援には、近畿地協の各県をはじめ、福井、岡山、鳥取、三重、徳島など全国から600人が入りました。

 1メートルを超す床上浸水の被害にあった同診療所の復旧と、2600件を超える地域訪問、健康相談、生活支援が展開されました。

(民医連新聞 第1345号 2004年12月6日)

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