民医連新聞

2005年1月3日

あなたの職場におジャマしまーす(9) 石川・病児保育室「ほっとルーム」 病児と働く親の力になりたい

 子どもが病気にかかったときの親の悩み。保育所で預かってもらえない。かといって、仕事は休めない。そんな時に、子どもを預かるのが「病児保育室」。働く親の強い味方、石川・健生クリニック併設の「ほっとルーム」を訪ねました。(荒井正和記者)

 「病児保育」とは? 病気で寝ている子を看病しているのかな? 一一月の晴れた朝、病児保育室のある健生クリ ニックへ。受付で場所を聞き、そーっと、保育室の扉を開けると…。あれ!? 考えていた「病児」とはまったく違う。横になっている子は一人もいません。お もちゃで遊んだり、本を読んでいたり、元気な声が響いています。
 この日は、風邪三人、水痘二人、別室に溶連菌感染症の子が一人。二~四歳の六人がいました。保育士の原田圭子さん、松浦弘子さん、木村常子さんの三人が保育をしていました。
 「水痘の子がいますが、他の子は羅患ずみなのでうつりません。伝染性疾患の子を預かる時は、どういう組み合わせにするか、まるでパズルのよう」と原田さ ん。「初めて来た子が二人います。でも、最初からなじんで」と、ニッコリ。突然来た記者にも動じる子はいませんでした。中には、「写真を撮って」と、リク エストまで。

診察室でみる顔と違う

 午前一一時、子どもたちの昼食が届きました。「お待たせしました」、保育士が子どもたちに声をかけました。「いただきます」「はいどうぞ」、食事が始まりました。「おはしで食べられる? ご飯おいしい? お口に入れてあげようか?」。保育士はやさしく聞きました。
 「ガラッ」扉が開き、「おはようございます」。小児科の山田優子医師(写真右)でした。外来の合間に子どもたちを診に来たのです。「診察室でみせる顔とは全然違います。私も楽しい」と、山田医師。
 食事はキザミや、トロミをつけて食べやすくし、声かけなどをして楽しく食べれられるよう工夫していました。家ではほとんど食べないという子も、ここでは食べるそうです。
 食事後は「お昼寝」です。子どもたちはパジャマに着替えて、布団へ。原田さんは左手で子どもを抱っこしながら、右手で連絡表を記入していました。
 「ほっとルーム」は、一九九九年一〇月に開設。医療・経営構造の転換の中で、病院がクリニックになったとき、病棟だった一角を改装しました。
 「病児保育をやりたかった」。四児の母である山田医師も、子どもの病気のたびに困っていた一人。自分の経験と働く母親たちの話に、必要性を痛感していました。

働く親の願い受け止め

 開設までの一年、プロジェクトチームで検討し、市内最初の病児保育室を見学し、市に要望書を提出。市議会も病児保育室が一カ所しかないことを問題に。認可は素早く決まりました。
 小児科に受診に来た子どもの親からアンケートもとりました。用紙にびっしりと思いが書き込まれており、「これには他料の医師も驚いた」と山田医師。
 「実家は遠方で、夫と調整しどちらかが休んでいる。病児保育があればとても助かります」「病児保育があるというだけで安心。いっしょにいたいが、仕事を休めません。子どもが病気のときにプロがいるとほっとします」。
 アンケートに書かれていた〝ほっとします〟から保育室の名を「ほっとルーム」に決めました。保育料や保育時間も希望にそうよう考慮しました。
 こうして金沢市内で二番目の、医療機関併設では初めての病児保育室が誕生したのです。

一人ひとり大切に

 山田医師は話します。「親にとにかくがんばりなさい、という育児ではだめではないかと思います。子どもは社会のもの。元気なときの保育園のように、病気のときにも公的に支援する場があるのは当然なのでは」。
 「どのような家庭環境にあっても、子どもは一人ひとり大切に育てられる権利があります。それが親だけではできないことが多い。小児科としてできることの一つが病児保育ではと」。

*    *

 原田保育士が話します。「ぜん息の子が、夜咳き込んで目を覚まし、『明日ほっとルームに行く』と言ったので母親はびっくりしたそうです。子どもながら、ここに来れば良くなるって思ったんですね。うれしいですね。心細い子どもにも安心感を与えているんです」。
 「母親から育児相談や会社での悩みを聞くことなどしょっちゅうです。子どもだけでなく母親もほっとできるような場所だとうれしいですね」。
 要望は? 「補助金をもっとあげてほしい! 年間六六〇万円では人件費も出ません」。おもちゃはバザーの収益で買っており、切実な問題です。毎年対市交渉を行い、補助金の増額を訴えています。
 石川民医連では、城北病院にも○四年八月、病児保育室がオープンしました。「民医連だけでなく、他の施設とも交流し、視野を広げたい。まだまだ勉強しなきゃ」。保育歴一〇年目の原田さんは、明るく抱負を語りました。

(民医連新聞 第1347号 2005年1月3日)

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