民医連新聞

2005年2月7日

イラク医療支援調査 アンマンレポート(下) 寒いテント生活で疲れ切るイラク難民 この一年でいっそう深刻化

 イラク医療支援についての調査で、昨年一二月隣国ヨルダンのアンマンを訪問した大河原貞人事務局次長のレポートの続きです。JVC(日本国際ボランティアセンター)の佐藤真紀さんに同行し、難民キャンプなどを視察、長期支援の必要を痛感しました。

[2日目]難民キャンプ

 イラク国境のルウエイシェビットにある難民キャンプAを視察。国連難民弁務官(UNHCR)の迎えの車で嵐の中、アンマンの約三百数十キロ先をめざし、お昼前、UNHCR現地事務所に到着しました。
 難民七四一人のうち(約半数が子ども)、キャンプAには三二三人がいます。生活の様子は、地震直後の新潟の避難所と似ていました。夏暑く冬寒いテント生 活が一年半以上続き、精神的にも疲れ切った様子です。「人道上問題あり」と痛切に感じました。
 昼過ぎから約二時間、鉄線で囲まれた広大な敷地を見学。子どもたちはテントの中でバレーボールに興じていました。裁縫や木工、パソコンなどを覚えるテン トや、卓球、キックボクシングなどをするスポーツテントを置くなど、困難な中でも工夫し「教育」を行っていました。
 またこの日、イラク・クルド人一八四人が、受け入れ国スウェーデンに出発する場面にも遭遇。キャンプを出る五台のバスを見送りました。

[3日目]難民弁務官の話

 現地最終日。午前は、国連難民弁務官事務所で今後の支援について調査するJVCに同行しました。
 都市部のイラク難民担当者は、戦前からを含め、二五万人の難民がアンマンにおり、治安悪化で帰国できない人たちが不法労働者としてヨルダン当局に捕まっ ていると話しました。この二五万人中、難民登録(把握)者はたった九〇〇〇人、さらに難民弁務官が援助できる難民認定者はわずか一一〇〇人。売春婦に身を 落とす女性も少なくないそうです。「難民アパートを訪ね、声をかけるくらいの側面的援助しかできない」と、彼らは残念がっていました。
 つい最近までイラク国内の難民キャンプ事務所で援助していた担当者とも懇談。イラクが危険になりアンマンに引きあげた彼らは、メールや電話で現地のイラク人と連絡をとり、物資を供給していました。

*  *

 午後は、日本の調査メンバーそれぞれが得た情報を交換しました。
 同行したNHKのスタッフは、三日間で七人のイラク家族をヒアリングしていました。彼らの悲惨な状況を紹介し、キングフセインセンターの基金すべてが枯 渇した、と報告。「アラブの子どもたちとなかよくする会」の西村陽子さんは、二日前バクダッドの病院に送った抗ガン剤が無事に届いた、と報告しました。
 私は西村さんに、バスラ教育病院・がんセンター所長のアル・アリ医師と連絡をつけ、薬を手配してくれるよう依頼しました。

[調査を終えて]

 「アメリカは何を考えているのか、3・20の戦争前の方がましだった」と語った国連難民弁務官たちをはじめ、誰 もがイラクの現状がこの一年で深刻になったことを語りました。また、治療に来ていたイラク人や、ボランティアは、アメリカへの憎しみをあからさまにし、こ うした感情が新たなテロを生むこと、イラクの家族がたいへんな状況にあること、「生活苦で盗賊になる国民もいる」と怒りました。そんな中、日本政府は自衛 隊の派遣延長を決定。イラク国民や彼らを支援する近隣諸国の反感を買うのは必至です。
 一月一一日、イブラヒムさんの奥さんが亡くなってしまったそうです。また、娘のファティマちゃん(三つ)の頸部に腫瘍が、双子の赤ちゃんの一人にも心臓 の病気が見つかりました。医療支援は奥さんに支給されていたものでした。イラクに帰国しても娘たちの治療はおろか、安全の保障もありません。イブラヒムさ んの気持ちはいかばかりでしょう。医療支援は、息長く続けなければ、と思います。

(民医連新聞 第1349号 2005年2月7日)

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