民医連新聞

2005年5月2日

力あわせれば9条守れる 憲法守る活動交流集会

 施行されてから五八年、日本国憲法を一字一句変えなかったのは、九条・二五条などを生かした「平和のもとで人間らしい生活」に努力してきた国民の力で す。しかし衆・参憲法調査会は報告書を出し、意図的に報告書に「改憲の必要性」を盛り込みました。特に九条二項の改定は、軍隊の保持を明文化し、「二度と 戦争をしない」という誓いを破るものです。一方、自分のことばで憲法を語り、守ろうとの運動も各地にひろがっています。四月二三日、全日本民医連と東京民 医連は合同で「憲法を守る活動交流集会」を開きました。


 会場には青年がたくさん参加し、発言しました。各地でつくった「9条Tシャツ」「9(ク)マップ」が歌ったCD、「9条ハンカチ」なども並びました。

 長野の日高大地さんは、医師たちの呼びかけで、地域の開業医に「九条の会」の賛同者がひろがった、と報告。「九条うちわ」をつくったり、講演会や学習会を力に、仲間づくりをしている、と話しました。

 京都の林聡子さんは辺野古の座り込み支援に行き、身体を張った住民のたたかいに感動しました。現地では「がん ばってください」でなく「がんばりましょう」という言葉をかけ合うことを印象深く受け止めました。その意味は「沖縄の問題は全国の問題」ととらえ、京都で 何ができるかを考え、「ピースアクション2005年」という会を呼びかけました。「一人ひとりがいろいろな形で行動することが大事」と発言しました。

 共同組織からも報告が。東京の金子ミサ子さんは、「九条の会に賛同する一人一人の会」を三人の世話人で地域に呼びかけると、約半年で賛同者が一九〇二人になりました。

 送った署名やニュースに、「難病と闘いながら署名を集めています。がんばりましょう」などたくさん返事がきました。

 世話人は三人とも病気や障害をかかえています。力は小さくても思いは大きい。「一人ひとりが自分の物語をもって、呼びかけ、また呼びかけに応えてくれる」と発言しました。

 全国青年ジャンボリー実行委員がそれぞれ、各地のとりくみを紹介しました。学習会や体験を通じ、「自分たちでも何かしなくては」と青年が行動を始めています。「北海道JBに向けてむけて平和活動を大きくしていきたい」と共通に語りました。

 全日本民医連の清水洋事務局次長はまとめで、「医師・医療者の会への賛同者をひろげよう。創意ある学習をすす め、職場代表の参加する闘争本部を確立し、職場や職種ごとに『九条の会』をつくろう。そのために、知恵を出し、相談もしよう」とのべました。参加者は一四 五人でした。

 集会は、NPT(核不拡散防止条約)再検討会議に行く要請代表団参加者を激励することも目的のひとつでした。民医連からの九一人を含め、日本からの参加者は八〇〇人を超えます。 一一人が登壇し、「国連に日本の声を届ける」と決意をのべ、会場の拍手をあびました。

ちひろの絵を貫く反戦の思い

松本由理子さんが講演

 「心を射抜くような少女の悲しげな瞳」、ベトナム戦争が激しかったとき、いわさきちひろが描いた絵です。

 「大戦が終わって、はじめてなぜ戦争が起きるのかを学びました。戦争に反対して牢に入れられ、殺された人のいたことを知りました」。ちひろは、戦後を、社会に関わる画家として生きました。

 「ちひろ美術館・東京」の副館長の松本さんは、優しい口調で、ちひろの生涯と絵を語りました。

(民医連新聞 第1355号 2005年5月2日)

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