民医連新聞

2005年8月1日

中低学年の奨学生を迎えよう! 医学対大運動2005 “大運動”ただ今更新中!やりがい、歴史、民医連語って

 中低学年の医学生奨学生を増やす大運動月間(7~9月)のスタートから1カ月。「自分たちの医療活動を見直し、その魅力を語り、全職員あげてとり くもう、全国で50人以上迎え入れよう」という呼びかけに、積極的な動きがはじまっています。また、民医連外の医師から紹介され実習をした医学生が、「や りたい地域医療がある」と、奨学生になったり、奨学生が奨学生を増やした経験も。進行中の医学対大運動、いくつかの実践報告を紹介します。

徳島
医学生と青年職員が合同企画“県民医連のルーツを探ろう”

 言葉には、徳島県民医連の歴史が刻まれていました。七月一四日、「徳島県民医連のルーツを探ろう!」で、一九七〇年に入職した樋(とい)端(ばな)規(のり)邦(くに)医師は力強く話しました。
 話を聴いたのは、徳島大二年の医学生A君と、青年職員六人。Aくんは「医学生のつどい」の全国実行委員でもあります。今年のつどいのテーマが「民医連の ルーツ~過去・現在・そして未来へ~」、これは第三〇期ジャンボリーの課題でもあったので「徳島の民医連の歴史を聞こう」と、医学対とジャンボリーで合同 企画しました。
 樋端医師は一九五六年、「住民が主人公の診療所をつくろう」と、民主診療所の開設に奔走した先輩たちの事、森永ヒ素ミルク中毒児検診、有機溶剤検診、白 ろう病検診、被爆者・じん肺検診など、その時代に起こった健康被害に一貫して住民をささえた歴史を語りました。また、被爆者の出張検診や老人(ひとり暮ら し・寝たきり)実態調査など、公的医療機関や開業医がやらなかった活動についても話しました。二八年前、徳島初の訪問看護をしたのも健生病院でした。
 「なぜ他の医療機関がやらない医療をやるの?」という医学生の質問に、樋端医師は「私たちを必要とする人がたくさんいる、その要請に徹底して応えていく 事にこそやりがいがあり、民医連の存在意義がある」と、こたえました。そして 「地域をみる、患者の実態をみる。そこから自分たちの役割は何かを常に考え てほしい」と結びました。
 A君は、「地域の健康要求を徹底してサポートするのが民医連の仕事。地域の人びとにとって今何が必要かを考え医療を行っていくことが医師としてのやりが いだ。僕もそう思います」と話しました。青年職員も「病気を診るだけなら他でもできる。患者様を丸ごと診て、そして健康を守れるのは、民医連だからこそ。 誇りや使命感をもっと持ちたい」と、目を輝かせました。(楠藤(なんとう)義朝、医学生担当)


兵庫
奨学生が同級生や後輩に民医連を語った

 医学対は、民医連医療を担う医学生を発掘し、成長してほしいと日々奮闘しています。人を育てる仕事の難しさ、す ぐには出ない結果、他部署からも理解されにくい…様ざま悩みつつ医学生と接する毎日です。ある時、そんな私たちに、大きな元気をくれる出来事が。それは一 人の奨学生の行動から始まりました。
 神戸大四年生のA君は、浪人中に「一日医師体験」で出会い、合格後すぐ奨学生になった医学生です。彼の世代には他に四人の奨学生がおり、活発で中心的な世代です。
 県連で「ホームレス夜回りボランティア」を企画した時、多くの学生が参加しました。A君はそこに自分が家庭教師で教えている浪人生・B君を誘ってきまし た。学びと交流の場に出て、受験失敗で落ち込んだモチベーションが上がれば、という配慮でした。企画後B君は「民医連の医学生活動に感銘を受けた。来年こ そ医学部に合格し、今度は医学生として参加します!」と語りました。
 翌年の春、B君は徳島大学に合格。さっそくお祝い会も兼ねて面談しました。もちろんA君もいっしょです。これまでの苦労を労い、これからの医学生生活の 話に盛り上がり、最後に奨学生の話へ。詳細を説明する担当者とともに、A君は、自分が奨学生活動を通してどう成長できたか、医学部という狭い世界を飛び出 し、より広い社会を学ぶことの重要性、「未来の後継者として自分を暖かくささえてくれた。職員のおかげでここまで成長できた」と語りました。医学生という 同じ目線で訴えたA君に、B君は感銘を受け、入学前実習に来て、奨学生になりました。
 これほどの思いを抱いてくれる医学生がいたこと、そして何よりそれを他の医学生に伝えた彼の行動に、勇気をもらいました。
 また、奨学生になったB君は、同級生のC君に兵庫民医連の実習をすすめ、それで参加したC君も、その後奨学生を決意しました。
 こうした宝=医学生を今後一人でも多く誕生させられるとりくみを継続していこうと再認識しました。合い言葉の「医学生との協力共同」、職員が医学生に訴 える大切さ、それ以上に思いを受け継いだ医学生自身が、他の医学生に呼びかけることの重要性も今回学びました。奨学生活動を通して成長した医学生が、今度 は同級生や後輩たちを成長させていく…こんな連鎖反応がもっと盛んに起こるような環境をつくろう、と思います。(西田 関(せき)、医学生担当)


熊本*長崎
学生11人ハンセン病フィールドに

 六月一九日、熊本県民医連は長崎民医連と共催で、医系学生を対象に「ハンセン病フィールドワーク」を行いまし た。一一人の学生が参加し、菊池恵楓園を見学、回復者から体験を聞き、懇談しました。知らなかったことに驚きながらも「人権とは、患者の立場に立つとは」 など、考えを深めました。

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 熊本は薬学生、社会福祉学生が一人ずつ、長崎は医学生六人、歯学生二人、薬学生一人が参加しました。職員も医学生担当者のほか、PSW・薬剤師なども同行。
 まず、熊本でハンセン病元患者の支援を続けてきた「ハンセン病国賠訴訟を支援する会」の北岡秀郎さんから、隔離政策の歴史、差別の背景を聴きました。戦 後、ハンセン病の感染力は弱く、隔離は必要ないと知っていた医師が、国会で「隔離が必要」と証言した話には、何人もの学生が「医師の社会的責任、人として のあり方を考えた…」。
 また、日本の支配下にあった韓国でもハンセン病患者が隔離され、虐待されたことを描いたソロクト・楽生院のDVDを観ました。
 「身内から『帰ってくるな』と言われ、死ぬつもりで療養所に来た。家族と暮らせず、親の死も知らされず、辛かった」「自分も誤った情報を刷りこまれてい た」と、悲しい体験を語ってくれたのは二人の回復者。この話をするたび、「薄皮がはってきた傷口に触り、血を流すような」思いをするが、「若い人に体験を 語ることが、私にできること」と言います。学生たちへ「身体と同じように心も鍛えて。心をタフにしてね」と励ましまでくれました。
 学生たちは、そんな思いで元患者さんたちが話をしてくれたことに感謝し、「倫理観のある医者になろう」「身体をはっても、正しいことを」など、思いを素直に記しました。(久保山理恵、医学生担当)


長野
山頂で大学生活を語る

 奨学生から出た登山の要望を夏の企画にしました。参加を募ると、学生の横のつながりで、山梨まで飛び火し、医学生6人を含む11人で北アルプスの燕岳に挑戦しました。
 山々の壮大な風景、日の入りを眺め、星を見ながら、学生同士、医療や大学生活を語り合う場になりました。学生は学生の中で成長すると実感しました。(窪田耕介、医学生担当)

(民医連新聞 第1361号 2005年8月1日)

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