民医連新聞

2005年9月5日

あなたの職場におジャマしまーす(17) 長野・塩尻協立病院 憲法9条守る会 青年たちが主役です!

 「九条の会でがんばる青年職員に会いに来て!」という看護師長・宗田まゆ美さんの誘いで、長野・塩尻協立病院を訪ねました。木の香りが残る まだ新しい同院は職員約一二〇人中、青年層が一〇〇人という若い職場です。昼休み、たまり場(もと診療所の建物)に集まった青年たちはとても元気でした。 学びながら行動し、自然に確信にしているような青年職員。話を聞きながら、彼らとともに歩む先輩職員、友の会員さんの存在を感じました。(小林裕子記者)

 「九条クッキー」を手に現れたのは調理科の山田義幸さんたち四人。焼き上がったばかりで、ほんのり暖かい。「大 好評なんです」。買い手は職員、患者さんと家族、それに「憲法九条を守る塩尻の会」の地域の人です。あるお母さんが高校生の弁当といっしょにお友だちの分 も持たせたら、食べながらの話題が九条から靖国のことまで盛り上がったそうです。販売数約五〇〇個、イベントの資金、原水禁世界大会に持参したタペスト リーの材料代になりました。

 クッキーづくりは「調理師の能力を生かして参加しよう」との調理科チーフのひと声で決まり。「チーフはいつも、行動すれば何か分かるっていう。確かに七人のスタッフが知ったことは多い」。塩原寿彦さん(調理師)の言葉に、チーフへの信頼感が見えました。

 調理科の青年たちは九条の会の宣伝カーの運行も引き受けました。「テープを流すなら俺たちにもできる」と、早番の二~三人が仕事を終えたあと市内を巡回。いま彼らは会の「牽引車」です。

リアルな戦争体験を聞いて

 「塩尻九条の会」は今年三月に結成されました。病院職員のほとんどが呼びかけ人か賛同者です。「院内でも何かしよう」と有志で企画を検討。九の日宣伝、学習会、Tシャツづくり。

 青年たちに「戦争体験を聞く会」が強い印象を与えました。地域の会員三人から、当時の教育、学徒動員、空襲の怖さ、満州からの引き揚げなど証言を聞きました。

 竹内敏彦さん(調理師)は「戦争体験を聞くのは初めて。暗い時代だったんだな。九条がなくなったら戦争の確率が 高くなる。だから大事なんだ」。降旗廣晃さん(調理師)も「話を聞いて、戦場に自分がいたら…と思うと怖かった。人ごとじゃなく自分たちの問題。九条は当 然です」と。

 川畑和章さん(事務)も「僕らじゃ想像できない。体験者を目の前にしてリアルだった」と。

 「九条は世界にとっても大事だと思う。僕は前に小銃を持って走り回っていたから…」といい出した吉江耕一さん (看護師)にみんなの目が集まりました。もと自衛官だった吉江さんは「武器が進化して、人を殺したという罪悪感を持ちにくいのが現代の戦争だと思う。当時 は仕事と割り切っていたが、一週間も山ごもりする訓練はイヤだった。泥や露でぐちゃぐちゃのまま風呂にも入れない。本当の戦争だったら気が狂って、人を殺 せるようになるかも。究極的には武器を廃止しなくてはいけない。九条は危険なアメリカを抑え、世界の規範になると思う」と。みなじっと聞いて、うなずきま した。

「仲いいっすよ!」

 会には代表はいないそうです。先輩格の清水恵子さん(組織部)と小沢康士さん(医事)が、地域とのパイプ役を果たす程度。「全員でミーティングし、次回までのことを決める」と清水さん。

 予定は口で伝わり、たまり場に三々五々集まるとのこと。斉藤佳美さん(介護福祉士)は「九条の会で他部署の人と親しくなれた」と。会は交流の場のようです。「仲いいっすよ!」と降旗さん。

 清水さんは「一人の意見でも、みんなのものに、形にするよう心がけている」そうです。たとえば学習会で「年表があったらいい」の声がでたので、地域の元歴史の先生に作ってもらいました。

 「塩尻九条の会」の担い手には友の会員さんが多くいます。塩尻の人口六万人に友の会員が約六〇〇〇人、多くは「カルテのない友の会員さん」。元気な会員です。

 「病院建設をいっしょに実現してきた身近な仲間ですから」。ひまわり薬局の塩原恵一さん(薬局長)は、とても家族的な雰囲気の種を明かしてくれました。

(民医連新聞 第1363号 2005年9月5日)

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