民医連新聞

2005年11月21日

看護もっと輝きたいの (5)今、現場は 「看護サポートチーム」の1年 福岡・千鳥橋病院

 看護業務をどのように支援するか、各地で論議と実践が始まっています。福岡・千鳥橋病院では二〇〇四年一〇月に、看護サポートチームを導入しました。(小林裕子記者)

 野村亮介さんは、サポートチームの一員です。車イスを慎重に押しリハビリ室へ。患者さんを理学療法士に引き渡し たとき、PHSが鳴りました。病棟から次の搬送の依頼です。戻ろうとすると、療法士から別の方を病室へ移送する依頼が。歩行器を使う患者さんの背に手を添 え病室へ。「お疲れ様でした」ベッドに移ったことを見届け、ナースセンターへ報告、次の病棟へ足早に向かいました。

 野村さんら四人は病棟に所属せず横断的に支援します。全病棟を二つに分け、二人で分担。患者や検体などの搬送、 入浴介助、見守り、清拭など、決めた範囲の業務について、どの看護師からも直接指示を受け、動きます。たとえばPHSを受けたとき清拭中だったら? 患者 さんに待ってもらうか、別の一人に連絡してもらうか、機敏に判断して次つぎと指示に応じます。患者さんに迷惑をかけないことが判断の基準です。手が空く と、病室の柵や台、詰所の流しや隅を拭いたり整えたりも。

 サポートに搬送などを依頼するかどうかは看護師が判断します。たとえば車イス程度の自立で、管は一本まで、状態が安定した患者というように、なにより安全を優先したルールづくりをしています。 

発想は管理会議から

 現場の調査から抽出した看護師のニーズは「検査・リハビリへの搬送に時間がかかる」「入浴介助に手がとられる」「病室の環境整備ができない」「ベッドサイドに行く時間が足りない」といったものでした。

 医療構造の転換が集中した数年間で、同院の平均在院日数は二二・六日(〇一年)から一四日(〇四年)に短縮。救急搬入が増え、患者さんの介護度は高くなり、看護の困難が激化、中堅看護師の退職が続きました。

 サポートチームの発想は、事態を打開するための管理会議で出たもの。チーム立ち上げを担当した副総看護師長・成 松史さんは「率直に看護師の状況を出すと、院長が真っ先に『何とかしないと』と言い出し、知恵も生まれた」といいます。看護業務の支援は病院全体の課題に なりました。

患者の満足で団結

 計画は、ワーカーズコープ博多センター事業団に委託して実施することに。すでに清掃・営繕部門などを担い、実績がありました。

 二級ヘルパーの資格を持ちながら清掃部門にいた高橋元枝さんがサポートチームの担当になりました。成松さんと高 橋さんの共同作業がはじまりました。ヘルパー有資格者を集め、高齢者の特徴、安全、感染、移乗、オムツや着替えの手技など、担当看護師が教育して、一年間 で徐々に仕事の範囲を増やしました。いま各病棟に一人配置していた看護助手(委託)を統合し、一部の医材管理も受け持ちます。高橋さんはチーム一〇人の リーダーとして、成松さんと日常的に連絡を取り合います。

 一年を経て、高橋さんは「たくさん学び、仕事をつくる喜びを感じてきた。スタッフもきっと同じ気持ち」と。患者 さんの満足を大切にする理念で、病院とセンターは一致します。チーム員の気持ちが清掃部門にも伝わりました。たとえばポータブルトイレを徹底的にきれいに し便座にワックスを塗る。患者さんに気持ちよく次に掃除する人も楽というのです。成松さんも「よくやってくれる。看護師からの評価は高い。今後も内容を充 実させたい」といいます。

 患者サービスの質向上に、誰も代わることのできない看護師の役割。それをささえる一つの方法が軌道に乗りつつあります。(千鳥橋病院:一般病床三三六床。基準看護一群。療養型五〇床。職員数五三一人)

(民医連新聞 第1368号 2005年11月21日)

リング1この記事を見た人はこんな記事も見ています。


お役立コンテンツ

▲ページTOPへ