憲法を守ろう

2005年12月19日

“戦争の話をきかせて下さい” 戦後60年、活発に行われた患者・利用者インタビュー

05年は、戦後60年の年でした。平和活動の一環として、患者・利用者さんからの戦争体験の聴き取りが、活発に行われました。「内容を冊子にして普 及」、「事業所9条の会の結成の契機になった」などの経験がよせられています。今まで誰にも語らずにきた加害体験を初めて口にする方がいるのも特徴。「病 気や入院を契機に戦争経験を振り返ったり、新たな意味を発見する患者に、接することのできる最後のチャンス」の声もあがっています。きき手の若い職員は、 身近な人から伝えられた「戦争」と、平和の大切さを受け止めています。

*平和の願いを入居者の生きがいに重ねて

 石川・特養やすらぎホームでは戦後六〇周年を機に、職員が入居者・利用者さんから、戦争体験を聴き取り、『戦争 はもう嫌!』の冊子をつくりました。そして今年、入居者と家族、育てる会、職員の「やすらぎホーム9条の会」を発足させました。会の呼びかけ人一三人のう ち六人が、冊子づくりで戦争体験を話してくれた入居者さんたちでした。

 私たちはこれまでも、入居者懇談会で戦争体験を聴いたり、原水禁大会の折鶴づくりなど、平和のとりくみをしてき ましたが、「会」結成の過程で、変化する入居者たちに、学ぶ思いでした。思いを共感的に受け止め、率直に提起すると、意欲を持って参加し、日々の活力に し、主体者として人生を生きるきっかけのひとつになります。ホームの援助方針「入居者の人生に寄り添い、その主体性を触発する生活援助」の大切さを再認識 しました。

 これまでは「辛いことは思い出したくない」と口を閉ざしていたが、「九条の会」の目的を職員から聞いて、婚約者 が戦死した辛い経験を初めて口にし、会の呼びかけ人になった人。親友が戦死したことを男泣きしながら話し、「聴いてくれてうれしい」と感謝した人。これま でにない内容の交流ができています。

 また、五月三日の地域の「憲法記念日の集い」で、発言をする入居者もいました。以後、月一回の「平和と戦争体験語るミニトーク」や、平和グッズ・鳩のブローチづくり、医学生と呼びかけ人の入居者との交流会などを行っています。

 これには職員も触発されました。若い職員が家族などから聴いてきた戦争体験を、毎月続けているミニトークで、話す姿もみられるようになりました。 (山口修治、相談員)

*「家族にも誰にも話せなかった」

 富山医療生協職員教育委員会では、学習教育月間の企画の一環で、患者・利用者様や身近な人から戦争体験をきき、内容を交流。その報告集も作りました。

 「炊事で川に行くと、死体がぷかぷか浮いている。その死体を向こうへ押しやって水を汲み、その水で食事を作る。それが当たり前になっていた」。

 「戦争の加害者だったことを家族にも誰にも話せなかった。上官に捕虜の処刑を命じられたが、人を殺すなんてどう してもできないと思った。でも、命令に逆らうのは、最も重い規律違反、上官は逆らった兵隊をその場で撃ち殺してもよかった。捕虜を殺すか、自分が殺される かどちらかだった。戦争のことなんて、忘れてしまいたかった。でも、生まれた孫の顔を見た時、自分が生きたあの時代を絶対経験させてはいけない、一人でも 多くの人に、特に子どもたちに、あの時代と戦争を知らせたい、と思った」…一四人のこんな声を収録しています。

 職員からは「世界中の人で話し合い、戦争の無意味さを理解して、平和な世界を築かなければ」「生まれてから今ま で平和に暮らせていたのは、二度と戦争はしませんと世界への謝罪の意をこめて掲げた憲法九条のおかげ。改憲の動きがあるが、自分や子どもたちのため、世界 平和を守るため、九条を守る活動に参加したい」などという感想が出ていました。(新保光男通信員)

*文集をつくって

 兵庫・尼崎医療生協は、戦争体験文集を作りました。学習月間の企画です。社保・平和委員会や組合員の学習推進委員会、教育委員会で「平和学習合同事務局会議」をつくり、すすめました。

 機関紙で呼びかけた募集に応えて送られたもの、組合員さんが高齢者から、職員が在宅患者さんから聴き取ってまとめたものなど、様ざまな形で一六本の記録が集まりました。

 徴兵され南方に送られた経験、満州から命からがら引き揚げてきた話、肉親の戦死、「私と妻の人生の前半部分は他人に翻弄された人生だった」と振り返った人もいました。

 関わった職員は「やって本当に良かった。知っているつもりだった戦争でしたが、聴けばきくほど疑問や怒りが浮か んできた。我が子が同じ情況に追い込まれたら、戦場に送り出すか、命をかけても阻むか考えた。あの時代に二度と戻ることがないよう、目を見開き耳をそばだ てなければ」と感想を寄せています。(高橋 伸、事務)

*加害体験に苦しむ患者に向きあう

 山口・宇部協立病院では、ある患者さんの事例を通じ、「日常診療で、患者の戦争体験の語りに積極的に向き合うこと」の大切さを確認しています。

 ターミナルの時期になっても周囲と心が通わず、ケアを拒んでいたガン患者さん(83)がいました。ある時、若い 看護師に、「病気の苦痛は戦争で罪もない人をたくさん殺した報い」と漏らし、凄惨な加害体験を語りました。看護師が真摯に聞いたことで、ケアを受容し、家 族とも和解して、亡くなりました。

 「戦争の加害体験は、日常では伏せられていて、入院や死に臨んで初めて語られることが多いのでは? その体験に 向かい合うことは、その患者が尊厳を確立し、人生を全うするうえで、決定的な役割を果たす」と野田浩夫院長。「これまで重視してきた『患者の生活と労働を 知る』ことに加え、高齢世代共通の中心的人生体験である戦争経験のナラティブに意識的に心を開く態度、技術、知識が求められている」と、語っています。

(参考)『看護実践の科学』8月号「呼吸不全と戦争による深い罪悪感に悩みながらターミナル期を迎えた末期ガン患者の看護介入の経験」/『いつでも元気』12月号

*「殺さないで」と手を合わせる人を…

 山形虹の会では、昨年夏から、職員が戦争中の生活や出来事について、利用者様から聴き取り活動をしています。当 法人では、これまでも「イラクの子どもたち」や原爆の写真展、絵本『戦争のつくりかた』の掲示、映画「父と暮らせば」上映会など、平和のとりくみを積極的 に行ってきました。

 今回のとりくみは、戦争体験のない職員が、身近な戦争体験者である利用者様から戦時中のくらしや出来事を伝え聴くことで、事実をリアルに理解し、主体的に憲法改悪や、イラク戦争に関心を持ったり、平和運動にとりくめるようになれば、というねらいで提起されました。

 聴き手になったのは、老健かけはしと、グループホームかけはし内の職責者や共同活動委員、ジャンボリー実行委員を中心としたグループです。十数人の利用者様が対象となりました。

 内容は…「お国のために鉄砲を持ち、何人も殺した」「泣きながら駅で我が子や兄弟を送り出す家族のことが焼き付 いている」というものから、「手を合わせて、『殺さないでくれ』と、懇願する人の命を絶った。情けなど無かった、自分が殺される」とうつむいて語った方、 「人を短剣で刺した、豆腐のようだった。これ以上争いで人が死ぬのは嫌だ、戦争は絶対反対」と訴えた方…。

 認知症のある方も、戦争は強烈な体験として、忘れずに記憶していました。また、インタビューに協力してくださった方たちは、こぞって「戦争を二度と繰り返してほしくない」と願っていました。

 身近な利用者様たちの証言に、聴き取った職員は、戦争を疑似体験することができました。あらためて戦争に反対す る意義を実感できました。そして、事実を風化させず、後世に伝えつづける必要性を感じています。とりくみには、地方新聞からも取材依頼されるなど、地域か らも反響がありました。(高橋 亘、事務)

(民医連新聞 第1370号 2005年12月19日)

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