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2006年4月17日

旧日本軍が捨てた 毒ガス被害者を検診 民医連の医師ら中国(チチハル)で

 日中戦争が終って六〇年、しかし中国では今も戦争被害者が生まれています。旧日本軍が遺棄した毒ガスに知らずに触れ、死亡したり重篤な健康被害を 受けているのです。職を失い後遺症に苦しみ、「感染する」と差別され、補償もなく、生活が困難、治療も十分でありません。三月一八~二三日、日本で支援活 動をする弁護士とともに民医連の医師が訪中、ハルビン市で被害者五一人の検診を実施しました。この調査団は二一人、民医連からは、東京の藤井正實医師、花 岡成典医師、大阪の福島啓医師、吉岡篤志医師、前田泰子助産師、医学生・金蓮姫(キム・ヨンヒ)さんと私・吉本が参加しました。レポートします。(吉本和 人・大阪民医連事務局)

 ハルビンでは、報道陣のほか、子どもの被害者が出迎えてくれました。二〇〇三年八月に起きたチチハル事件で、子どもたちも被害を受けました。

 建設現場で掘り出されたドラム缶五本から、黒い液体がもれて土を汚しました。何か分からず、ドラム缶を撤去した 作業員、扱った解体作業員、化学工場の処理作業員が液体を浴び、一人が死亡しました。汚染土からも被害は拡大。駐車場へ、自宅の庭へ、中学校の校庭へ運ば れた土に、住民や子どもたちが接触してしまったのです。

 猛烈な吐き気、目や皮膚の痛み、接触部は水疱に。急性症状がとれても、将来サッカー選手になりたかった少年は、足の障害で走れなくなりました。記憶力・集中力が弱くなり、授業について行けず、希望を失った子どもも。

現地の医師と共同で

 日本軍が遺棄した化学兵器=毒ガス液は大量で、事故がたびたび発生、被害者は二〇〇〇人以上といわれます。

 検診を受けたのは、チチハル事件の被害者四三人と、二〇〇四年七月に吉林省敦化(トンカ)市で起きた事件、数十年前の事件の被害者など、計五一人です。

 現地では、ハルビン医科大学第二病院の医師が全面的に協力してくれました。診察室を準備し、検査の態勢を整え、時間のかかる肺機能検査は、前日から実施して臨んでいました。

 初日の朝、両国の医師同士が打ち合わせをして検診を開始。弁護士は被害者から実情を聞き取りました。

 診察をほぼ終えた二一日の午後、日中合同で記者会見を行いました。

 チチハル遺棄毒ガス被害者弁護団の山下基之弁護士は、「今調査は、日中の医師の協力で大きく前進した。被害者は 治療と生活に困難をきたしており、両国の医師・弁護士は手を取り合って、裁判や政府交渉をすすめる決意だ。戦争被害に心を痛める人びとに、協力をお願いし たい」と表明しました。

 現地の新聞は、日本から調査団が来たと、連日大きく取り上げていました。

後遺症続き、治療費もなく

 日本政府は、チチハル事件を旧日本軍の遺棄物によるものと認めましたが、政府間協議で「遺棄物化学処理事業にか かわる費用」として三億円を支払っただけ。中国政府はその九割を被害者に渡しましたが、治療費が非常に高いため、この二年で使い切り、被害者の手にはもう お金がない状態です。

 中国と日本の医師団は、診察、胸部レントゲン、肺機能検査の結果などをもとに合同カンファレンスを開き、治療法などについて意見交換。また継続して連絡をとり合うことにしました。

 検診を終えて、藤井医師は「まず何より、被害者に検診と治療を続けさせたい。それには日本政府が補償することが 必要。補償を求める運動に、検診で得た所見を役立てたい。若者や子どもが被害を受けたこと、職や友人、生活基盤を失っていることも痛ましい。被害者が社会 や学校に復帰できるよう支援することが大切と思う」とのべています。

 毒ガスの成分は猛毒で、後遺症は、呼吸困難、咳、視力低下、皮膚炎、疲れやすさなど様ざまです。特効薬はありません。

 医学生の金さんは「医学的にも社会的にも課題が多い。検診結果や事実を広く知らせなくては」と話しています。

*   *

 被害者の定期検診や治療のサポートのための基金があり、月五〇〇円からできます。「化学兵器CAREみらい寄金」 http://www.84qiqihar.net/fund.html

(民医連新聞 第1378号 2006年4月17日)

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