事業所のある風景

2006年4月15日

神奈川/協同ふじさきクリニック 地域に耳をかたむけ 期待される診療所として

献身的医療の歴史

 1950年東京清瀬の結核研究所で乾燥BCGの研究責任者をしていた岡田久医師がレッドパージされました。翌年1951年に川崎南部の労働者の町で地域 住民と労働者の協力を得て、川崎大師の近くに民主診療所を設立しました。当時4名の職員で診療所周辺地域の社宅や寮にポータブル・レントゲンを運びこみ、 1回10人から15人前後の集団検診活動を行うなど、献身的な医療を展開してきました。

経営危機から再生の道へ

 1961年の川崎医療生協の創立と1960年代の公害反対運動、1970年代の革新市政の誕生、1976年の川崎協同病院建設と、55年の歴史のなかで 川崎医療生協は大きく発展。現在では1病院、1老健施設、9診療所、5訪問看護ステーション、2ヘルパーステーションの施設に発展してきました。そして 2001年には川崎協同病院の近隣に土地が確保でき、病院外来を移設する診療所建設を計画しました。
 しかし、2002年に公表した川崎協同病院「気管チューブ抜去、薬剤投与死亡事件」とその後の「経営危機」で診療所建設は白紙に。当時の組合員、職員の 受けた不安や失望ははかり知れないものでした。自分たちの医療活動についての自問自答。何度も組合員総訪問行動を行い地域の声に耳をかたむけ、病院での将 来構想委員会を立ち上げ。医療倫理委員会の設置、終末期医療シンポジウム「いのちとどう向き合うか」…。地域の応援と全国の支援のなかで再生の道を歩んで きました。

電子カルテも導入

 2003年臨時総代会で診療所建設が確認され、二期に分けて診療所建設運動が開始されました。第一期は病院から内科、整形外科、皮膚科を移動、2005 年6月27日に「協同ふじさきクリニック」としてオープンしました。現在、1日500名を超える患者さんが来院されています。喘息患者、高齢者の方が多く 来院しており、慢性疾患医療や高齢者・在宅医療を重視して取り組んでいます。建物は4階建てで、現在は1階・2階と4階一部のみを使用しています。今後、 病院の改装と併せて、今年度には他の診療科の移設を予定しています。
 協同ふじさきクリニックでは、法人として初めて電子カルテを導入しました。開設当初は、システムが間に合わず一部稼動でスタート、その後全面稼動しまし た。当初は、慣れない操作・運用で医師やスタッフは悪戦苦闘の日々が続きましたが、徐々に落ち着きを取り戻しつつあります。
 今後、病院改装とクリニック二期工事と大きな事業を抱えるなか、地域に期待される診療所として、頑張っていきたいと思います。
協同ふじさきクリニック 事務長 石井 伊佐男) 「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2006年4月号.No.404より

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