事業所のある風景

2006年10月15日

山形/本間病院 民医連の病院が核となるまちづくり

中心市街地の高齢化と空洞化への対策

 1672年、河村瑞賢により西回り航路が整備され、北前船交易による出羽国城米の集積地、積出港として酒田が大坂さらには江戸と船で結ばれるようになっ て、酒田湊は日本海海運の要衝として、「西の堺、東の酒田」と称されるほどの繁栄を極めました。そのなかに「本間様には及びもせぬがせめてなりたや殿様 に」とうたわれた豪商で大地主の本間家がありました。
 その本間家の流れを汲む故本間誠医師が、1953年の全日本民医連結成に参加して、1957年には医療法人健友会を創立しています。1959年、酒田の 中心市街地の目抜き通りに42床の本間病院を開設し初代院長となり、診察と病院経営業務にあたるかたわら、酒田市近郊の農村調査・農婦検診など先駆的医療 活動を続けていました。
 1976年の酒田大火を契機に、そこに居住していた人びとが近郊に転出、このため中心市街地の高齢化が一気にすすみました。商店街の方々も「中心地が空 洞化のままでは大変なことになる」と危機感をもち、紆余曲折はありましたが1997年に地元商店街、地権者が主体となって「酒田中町まちづくり期成会」を 発足させました。その後、本間病院や酒田市の行政もこの計画に参加して、2002年、正式に「酒田中町三丁目地区市街地再開発組合」が設立され、まさに 「病院が核となるまちづくり」の事業が推進されることとなりました。
 私たちの「まちづくり」運動の目標は、「医療・福祉と商店街と行政が一体となって人びとがつどう安心して住み続けられるまちづくり」でした。
 大型店進出やリストラ、医療・福祉切り捨てなどで市民生活が大変な状況のなか、地域経済活性化と医療・福祉施設の拡充を、自治体、商店街、業者、医療・ 市民が共同して取り組もうという、全国にもあまり例のない住民主体の地域再開発となっております。

商店も施設内に

 第3ブロックの「中町第3ビル」の1~5階は本間病院(154床)、別棟方式の3~4階は介護老人保健施設「ひだまり」(100床)、中町コミュニティ 道路に面する1階部分に「精肉店」「子供服店」「菓子店」の3店舗が入居し、2004年11月にオープンしました。
 道路をはさんだ北側の第1ブロックの「中町第1ビル」の1階には、「調剤薬局」「果物店」「菓子店」「理容店」の4店舗が入居し、その奥側に内科・外科 の5診体制の外来専門診療所が設置され、店舗と並んだ東側1~2階には、交流をテーマにした公共施設「親子ふれあいサロン」「国際交流サロン」「男女共同 企画センター」などが開設されました。その公共施設の上が12階建ての高層マンション(50戸)になり、診療所の上が5階建ての駐車場(150台)となっ ており、2006年3月にオープンしました。

「助人為楽」

 今回の建設運動に対し、共同組織の本間病院友の会会員の方々から、7億円を超える資金をよせていただきました。したがって、この大きな施設群は地域住民の共同の財産であります。
 医療改悪がすすむなか、この財産をしっかり守り発展させていくために、故本間誠医師の座右の銘「助人為楽」(人助けるを楽しみと為す)を胸に刻んで励ん でいくつもりです。

山形・本間病院 常務理事 高山 隆)

「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2006年10月号.No.410より

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