事業所のある風景

2007年8月15日

東京/中野共立病院 新病院建設を地域と県連の力で実現

中野はこんなまち
 中野共立病院のある東京都中野区は、新宿から電車で5分ほどにある、落ち着いた雰囲気も少し漂わせるまちです。かつては「中野サンプラザ」で著名なアー チストが多数コンサートを開き有名でしたが、最近はお笑い芸人が多く住むまち、またはフィギュアの聖地として日本より海外、特にフランスでは有名だそうで す。区の人口は約30万人ですが、高齢者と若い世代の比率が高く、30~50代の働き盛りが極端に少ない人口構成になっています。
 また中野区は東京都の災害時に被害が大きいと予想される地域に指定されています。病院の周りも道幅が狭く、一方を閑静な住宅街、一方は賑やかな飲み屋街、そのちょうど中間に位置しています。

震災に耐えられる病院を
 「大地震がきたら一気に崩れますよ」との設計士の言葉は衝撃的でした。今から10年前、阪神淡路大震災で神戸協同病院がびくともせず、被災者の救護にあ たった記憶はまだ新しく、私たちの病院を震災時にも壊れない建物にし、万が一の時でも友の会会員や地域の方々を守る役割が私たちにはあるとの議論を重ね、 6年前に具体的な新病院建設に踏み出しました。建て替えは、1期工事で、現地で一気に行うことにしました。そのため働いている120人の職員の働き場所の 確保が最大の課題となりましたが、2005年3月、東京民医連の全面協力で、各拠点法人に当院の職員85人を受け入れていただきました。
 建設資金においては1年足らずで約10億円が集まり、昨年の友の会員拡大月間においても、これまでにない400世帯の会員拡大を果たしました。その多く は新病院に期待するものでありました。

代々木病院との連携と機能分担
 本年、2月1日に完成し、診療を再開しました。一般病棟55床、医療療養病床55床、合計110の病床は2月末にはその90%強が埋まりました。
 建て替え前から渋谷区にある代々木病院への外科の集中、回復期リハへの転換、当院においては総合内科、療養病棟と一定のすみ分けをし、医師体制も含め強 固な協力体制で互いの機能を尊重し、地域の理解をいただきながら機能分担をすすめてきました。

この地で永く継続させること
 多くの方々の力と期待を担って再開し、また順調な運営を続けている病院ですが、経営的には極めて厳しい局面を迎えています。来年度の診療報酬改定やその 後の医療改革には強く反対しつつも、都市部の中小病院の存続策を考えていかなくてはなりません。
 具体策はプロジェクトを作って検討していますが、何よりも経営的基盤をしっかりとし、この中野の地に永遠に民医連の病院を継続させることを共同組織と共 に考えていく、この方向性なくしては、真の「新病院建設の成功」とはいえません。これまで力を貸していただいた皆さんの期待に報いるためにも、地域と共同 組織が一体となった旺盛な医療活動を行っていくことが私たちの使命と考えます。

中野共立病院 事務長 荒井 均)

「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2007年8月号.No.420より

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