事業所のある風景

2007年11月15日

広島/生協さえき病院 これからも安心療養をめざして

2005年6月に開設

 生協さえき病院は、広島中央保健生協のセンター病院である総合病院福島生協病院を分割移転する形で、2005年6月、広島市佐伯区に開設されました。
 福島生協病院から西へ約8km離れたこの地域は広島近郊の農漁村であった地域ですが、広島市のベッドタウン化のなかで1985年に広島市に合併され、佐 伯区になりました(人口13万人)。田畑が区画整理されないままの住宅地や、山手には造成での大型住宅地がいくつもひろがる一方、田畑や自然も多く残され ています。
 広島からはひと山越える位置にあり、原爆での直接の被害はありませんでしたが、黒い雨での被爆、被爆後の広島市内への入市による被曝、市内から避難して きた被爆者を介護することによって被曝した方が多い地域です。被爆体験を作品に綴った詩人の原民喜(1905~1951)も被爆後に生協さえき病院の近く に避難してきています。

ケアミックスの病院機能

 生協さえき病院は、病状が比較的安定した患者が、自宅に帰られるようになるまで、ゆっくりとリハビリしながら安心して療養できる病院が欲しいという願い のもとで作られた病院です。建設構想が進む中で、療養病床だけでは物足りない、一般病床・歯科もということで、一般病床54床+療養病床60床のケアミッ クス病院機能をベースに、病院内歯科や介護事業の通所リハビリテーションを有する病院として誕生しました。オープン直後、すぐに入院ベッドはいっぱいにな り、順調な船出をすることができました。

地域住民の期待に応えよう

 ところが、オープンしてようやく1年たった2006年7月に、療養病床削減政策にもとづく診療報酬改定に直面することになり、「ゆっくりリハビリ・安心 療養」の病院運営は荒波にもまれることになってしまったのです。改定を前にして、今後の病棟運営をどうするか議論を重ね、療養病床として生き残ろう、生協 組合員や地域住民の皆さんの期待に応えようと決めました。そして、医療区分1の患者への退院援助・区分2~3患者紹介をお願いする近隣急性期病院訪問、患 者の重症化に対応した医療機器の整備や看護職員体制の変更など努力を重ねて、現在は、区分2~3患者の入院比率が8割前後で運営を進めています。

 

風をよみながら力を合わせて

 開設3年目を迎え、療養病床の動向に右往左往させられたり、急性期医療では十分にニーズに応えられないもどかしさもあったりですが、各部門とも利用の輪 が広がり、損益も着実に改善させています。今後は、急性期医療の機能を充実させる方向で発展していくのか、在宅療養・介護を応援する病院としてさらに進ん でいくのか、風をよみながら、力を合わせて舵取りを進めていきたいと思います。
生協さえき病院 事務長 田中 敬子)

「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2007年11月号.No.423より

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