事業所のある風景

2008年3月15日

群馬/太田協立病院 小さくてもトータルに地域を支えながら

「戦後は企業城下町として発展

 古くから「子育て呑龍」として知られた大光院が、まちのシンボルとなっている群馬県太田市。戦時中は旧陸軍の「隼」などの戦闘機をつくっていた中島飛行 機の工場があったことから、何度も爆撃されたという歴史があります。戦後は富士重工の企業城下町として発展し、現在は人口約22万人となり群馬県東部の中 核となっています。

一般病床と介護療養病床に転換

 太田協立病院は太田市の東部、栃木県足利市に隣接する地域に、1977年12月に医療生協の診療所として開設されました。“安心して受診できる診療所が 欲しい”という若いおかあさん方の運動が始まりです。開設10年後の1987年9月に25床の病院となりましたが経営は厳しく、90年代に外来重視、とり わけ慢性疾患医療や健診を重視した方針のもと、黒字転化を果たしました。
 1996年には病院第2期建設を行い、25床から32床へ増床しました。組合員との合同の設計委員会や建設実行委員会を中心に、大規模なアンケートを実 施し、療養環境の改善やプライバシー保護を中心テーマにして、建設が進められました。個室8、2床室12というレイアウトと1床あたり8平方メートル以上 の療養環境の実現は、その具体化のひとつです。外来診察室では中待合いを廃止、外来棟・病棟にたくさんの絵を展示して癒しの空間とすることなど、限られた 予算の中で工夫を凝らしました。通所リハビリも、旧病棟をリニューアルして1997年4月より始まりました。
 2003年7月には、第4次医療法の対応として病棟を一般病床20床と介護療養病床12床へと転換しました。リハビリ室を新設し、病棟でのリハビリを実 施するとともに、現在では主に通所リハビリの短期集中リハを実施しています。介護保険の対応にむけて1999年に在宅介護支援センター石原を併設し、居宅 介護支援・訪問看護・訪問介護のサービスを提供しています。訪問看護ステーションには作業療法士を配置し、在宅でのリハビリにも挑戦し実績を増やしていま す。

開設30年を迎えて

 2008年1月、開設30周年記念の祝賀会を開催しました。開設準備段階から加わった方がたをはじめ、多くの職員と組合員とが集まりました。30年の歴 史をまとめたスライド上映では、医療活動はもとより社保・平和活動や健康づくり・文化活動など、地域の中で民医連運動が定着し発展していることを確認する ことができました。しかし、2012年の療養病床の削減問題、特に当院では介護療養病床12床が廃止の対象となっているため、一般病床を含めた病床の転換 が最重要課題です。
 この30年で培ってきた地域との信頼関係は、一番の宝物です。病棟の転換方針は定まっていませんが、外来・健診・在宅・入院・入所といった小さくても トータルで地域を支えている強みを、さらに発展させる論議を組合員とともに進めていきたいと思います。これからも身近で安心して利用していただける病院で あり続けるために。
太田協立病院 事務長 若田部 健次)

「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2008年3月号.No.427より

リング1この記事を見た人はこんな記事も見ています。


お役立コンテンツ

▲ページTOPへ