事業所のある風景

2009年1月15日

埼玉/所沢診療所 開設55年目の「とこしん」です

「基地のまち」

 所沢市は、日本初の飛行場(1911年)ができた航空発祥の地です。隣接する入間市・狭山市にまたがる航空自衛隊入間基地、新座市・清瀬市にまたがる大和田通信基地、市内には米軍所沢通信基地があり「基地のまち」としての顔もあります。

診療所の歴史

 所沢診療所は1953年9月1日に埼玉における民主的医療運動の一環として設立されました。在日朝鮮人、労働組合、民主団体、生活保護世帯の人々の要求 により故人となった開業医宅を借りての出発でした。開設直後に「医師のいない診療所」として経営危機に陥り、1955年には存続をめぐる議論もあったそう です。しかし、「基地の町」の民診をなくしてはならないと、大衆的基盤の拡大、医師の派遣協力などを受け、常勤医師の着任で新たな出発を迎えることになり ました。
 1960年代は、農民層の分解と労働者の増加によって都市化が進み、診療所の基盤も各階層に広がりを見せました。1954年に入間医療生協の設立に始まり、安保闘争の中でこの路線が発展し、1967年に医療生協化(所沢医療生協)しました。
 1968年には所沢社保協が結成され、所沢医療生協は全市的なリーダーとして社会保障闘争を活発に展開し、この活動の中から老人健診・老人医療費無料化 制度(県下初)などが実現しました。1972年には外来1日平均210人、多いときは280人という日もあったそうです。
 現在では利用者・患者の高齢化、受診抑制、市内に200近い診療所と23の病院ができるなど、大変苦戦しており、1日平均60~65人程度です。
 1988年に2代目の診療所が新築され、1992年に県下の医療生協が合併し、「医療生協さいたま」として出発しました。全県の力をよせて、2006年 7月に新築移転を果たし、現在の3代目診療所が誕生しました。診療所のリニューアルの一方で、長く常勤として「とこしん」を支えてこられた熊久保朝正元所 長が2008年2月に亡くなりました。熊久保医師は入間市・飯能市のあたりまで20キロ以上もバイクで往診に行くなど、真摯な対応で多くの患者から慕わ れ、現在の診療所の礎を築かれました。

組合員との共同でくらし・健康を守る先頭に

 所沢市内には、法人として埼玉西協同病院50床(一般内科・救急指定)や老人保健施設さんとめ100床、包括支援センター・訪問看護ステーション・ヘル パーステーションなどの介護事業所も充実しています。生協ネットワークを生かし、組合員・患者を支えあう条件があることは大きな強みです。また、熱心な組 合員の存在は、事業所にとって大変心強く思っています。くらし・健康をまもるたたかいも共にすすめています。
 なかでも、住民の健康問題・経営にも直結する問題として、健診制度の改善が今年度の大きな課題です。住民基本健診として昨年まで無料でしたが、800円 の自己負担となりました(75歳以上も800円)。しかも、誕生月によって受診期間が制限されています。75歳以上の方にいたっては3カ月間のみの受診期 間となっています。
 身近な要求を実現すべき自治体の課題については、今後も民医連・医療生協の事業所として住民の先頭にたって要求実現の運動を推進していきます。
所沢診療所 事務長 日野 洋逸)

「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2009年1月号.No.437より

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