アスベスト対策

2007年4月2日

記者の駆け歩きレポート(11) アスベスト外来開設 東京土建と協力して被害者を見つけ救う 東京・柳原病院

 アスベスト被害はこれまでの労働災害に加え、間接曝露被害が家族や住民まで広がっています。発症のピークは二〇年後で、四〇年以 上続くと予想されています。民医連は、被害者の救済に力を注ごうと提起しています。疾病の原因を自己責任ではなく、「生活と労働の場」からつかむ民医連の 視点が生きる活動です。東京・柳原病院では、芝病院の藤井正實医師と東京土建一般労働組合足立支部の協力で、「じん肺・アスベスト外来」を開設しました。 (川村淳二記者)

埋もれている被害者

 二月二八日の外来には、アスベストによる原発性肺ガンで死亡した患者(七〇代・塗装業)の遺族が労災認定の相談に訪れていました。藤井医師が診断したのです。アスベストに曝露した事業所が証明できれば、労災の遺族給付が申請できます。
 「あきらめず、どこで働いていたか調べてみて下さい」と、藤井医師。「もう少し早ければ往診して本人から聞き出せたのに」と、悔しがります。
 アスベストは曝露して三〇~四〇年後に発症するうえに、建設業では職場を転々とすることが多いため、その曝露歴を明らかにすることは簡単ではないのです。

法人こえた支援で外来開設

 柳原病院がある足立区は、中小の建設業者が多い地域です。東京土建では、早くから集団健診にアスベスト検診をとりいれ、胸部レントゲンの二次読影を、芝病院(港区)の藤井医師らに依頼していました。藤井医師が一年間に読影するレントゲンは五万枚を超えます。
 読影の結果、アスベスト曝露の所見がある人が多く見つかり、重症な人もいました。しかし、その人たちが通える医療機関が足立区にはありませんでした。 「柳原病院にアスベスト外来があれば受診しやすい。足立にはまだ多くの被害者がいる」との、要望が強まりました。そこで法人をこえた支援で、昨年八月から 柳原病院で「じん肺・アスベスト外来」を、月二回開設することに。

医師の養成は急務の課題

 外来日には、芝病院から藤井医師と池田孝治相談員が来ます。現地の保健師と東京土建も加わり、 患者さんや家族・遺族の相談に乗ります。毎回一~五人ぐらいの患者さんが受診。東京土建組合員が三分の二です。これまでに、健康管理手帳の認定が二人、死 亡者二人が労災認定され、重症アスベスト肺の一人が労災申請中です。
 「救済されなかった被害者に、陽があたりはじめた。でも、まだまだ埋もれている」と藤井医師。土建国保の健診率は一〇%程度。受診率アップのためにも、 読影できる医師の養成が急務です。「まずは東京の四ブロックにアスベストの診断ができる拠点病院をつくり、診療所でもできることが目標」と、藤井医師。外 来支援や医師の研修・教育に奔走しています。

アスベストの被害とは
 アスベストの危険性は70年代から知られ、イギリスやドイツ、フランスは80年代に原則使用禁止の措置をとった。日本では禁止措置が1995年と大幅に 遅れ、被害が拡大。保温断熱材などとして、多くの産業で使用されたため、その被害者は建設業だけでなく、港湾、造船、溶接、歯科技工士など様ざまな職業に 及ぶ。

共同組織も被害者掘り起こし

 足立健康友の会の役員、滝川征彦さん。友の会の機関紙にアスベスト健診の記事を手配していて、ピンときました。知り合いの竹原満州男さん(七四歳・塗装業)が、「咳や痰(たん)がひどく、微熱が続く。病院にいっても原因がわからない」と言っていたからです。
 さっそく東京土建足立支部の松舘寛さんに相談し、アスベスト健診をすすめたところ、アスベスト肺と判明。昨年六月に労災申請し、今年二月に認定されました。

(民医連新聞 第1401号 2007年4月2日)

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