民医連新聞

2007年4月2日

「僕、歩きたい!」 歩行器がほぼ全額補助対象に 山梨・巨摩共立病院訓練室

 「翔(しょう)くんに立って歩く生活をさせてあげたい」。両親と巨摩共立病院リハビリスタッフの思いが、福祉用具助成の対象に なっていない高額な歩行器に、ほぼ全額に近い補助を実現させました。作業療法士(OT)の縣(あがた)のぞみさんや医療福祉相談員(SW)の遠藤恵美子さ ん、マヒを持つ翔くんが住む町の議員、福祉課の担当者などが協力しました。(横山 健記者)

 六三〇グラムという超低体重で生まれた佐藤翔くん(四歳)。マヒが強く、自由に動けませんが、好奇 心旺盛で明るい男の子です。二歳から巨摩共立病院に週二回通い、リハビリを続けています。現在は、新しい歩行器で歩く練習のまっ最中。体が固定されるた め、つける時は少し泣きそうな顔でしたが、歩き始めると笑顔に。一歩一歩、ゆっくりと歩きました。

役所に歩く姿を見てもらおう

 障害児通園施設で、ほかの子が歩く姿を見つめていた翔くんに「歩きたいの?」と職員が聞くと喜び、抱えてあげると足を前に出し、歩こうとしました。
 OTの縣さんはその話を聞き、〇六年八月、歩行器・起立台・下肢装具を申請しました。その後、九月の福祉機器展で知った歩行・下肢装具の複合した新しい 福祉用具「ハートウォーカー」が翔くんに合うと感じました。しかしこの歩行器は、まだ助成対象ではなく、八五万円もします。申請が通らないと、全額が自己 負担に。
 縣さんはスタッフに「翔くんに必要なもの」と説明し、SWの遠藤さんにも相談しました。
 遠藤さんは、その場で福祉課の担当者に連絡し、「デモンストレーションをぜひ見に来てほしい」と訴えました。
 一〇月一一日のデモには、福祉課の担当者が来ました。「交渉の力になってほしい」と、リハスタッフの一人が呼んだ深澤平助町議会議員も来てくれました。 参加者は、翔くんのがんばって歩く姿を見つめ、スタッフの説明を熱心にメモを取って聞きました。

 一〇月一日、全面施行になった障害者自立支援法で補装具支給が変わり、所得に応じた負担から定率一 割負担になりました。申請した補装具は、下肢+体幹+歩行器の給付限度額を合わせても約五六万円。その一割と限度額超過分の約四〇万円が自己負担でした。 お母さんは「お金はすぐには準備できないので八月まで待ちたい」と。SWは「子どもの発達は待ってくれない。いまが大事。若い夫婦への援助は必要」と訴え ました。
 一二月二八日「日常的に使う、定期的に報告するなどの条件で、自己負担額は、限度額の三万七二〇〇円」という知らせがSWにはいり、縣さん、お母さん、 町議に知らせ喜び合いました。お母さんの「歩かせたい」という思いが病院、町の担当者、町議、みんなの連携プレーで実りました。

環境づくりもリハの仕事

 「補助が実現したのは、お母さんのがんばりです」と、縣さん。お母さんは福祉課から「家に置ける の? 病院の言うままに買っているのでは?」と言われ、「買う必要があるの?」というお父さんも説得しました。縣さんは「私たちはリハの提供だけではな く、環境をととのえることも仕事です」と、当たり前のように話しました。
 マヒがあると余計な力が入り、放置すれば拘縮や変形が起き、心臓や肺を圧迫されると生命にもかかわります。きちんとした姿勢で歩くことは運動機能を向上させ、認知の発達も促進します。
 翔くんは今、体調などを見ながら少しずつ練習を重ねています。お母さんは「歩行器は、体を固定されるので嫌がります。そんな時『歩かせたい』は、私のエ ゴかなとも思います」と話しながら、歩く翔くんに「ほら、ここまで来て。手をタッチして」と、励ましました。
 障害児の権利を保障するため、今後も役場や周囲の連携と運動が求められます。翔くん、ガンバレ!

(民医連新聞 第1401号 2007年4月2日)

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