事業所のある風景

2009年9月15日

静岡/三島共立病院 人権を守る運動と経営改善

豊富なわき水が市内を流れ

 ♪富士の白雪ノーエ…白雪三島へそそぐ♪♪ 「農兵節」の歌詞通り、三島市は富士山の雪解け水と箱根山塊から流れ出る豊富なわき水が市内を流れていま す。13年前に病院の増築工事をした際にも、1メートルぐらい掘ると水が出始め、3メートルも進むと水がわき出てきました。
 山を切り開いた住宅地は東京に通勤する人などの住宅が建ち並び、人口密度は静岡県内1位です。三島市と隣接する清水町・函南町はいずれも65歳以上の老 人比率は低く12~21%となっています。一方そこに住むお年よりの一人暮らし率は16%(県内4位)と高く、最近当院に通う高齢者の中でも孤独死が増え ており、医事課では独居・老々世帯の患者がすぐ分かるようにカルテにチェックを入れて、訪問活動の準備を進めています。

看護学生たちの思いが民医連診療所建設の運動に発展

 三島共立病院建設の端緒は、近くの国立東静看学(当時)を卒業したばかりの看護師たち(現看護部長など)によって始められた全国でも珍しい取り組みです。地域住民の運動へと発展し、8年の歳月を経て1978年9月3日に診療所開設へと実を結びました。
 診療所当時から訪問診療、訪問看護に力を入れてきました。訪問看護ステーションほほえみの開設(1995年)は三島市内では医師会に次ぎ、1998年開 設の共立クリニックは静岡県内初めての訪問診療専門の診療所で、在宅支援診療所のさきがけといえる存在です。現在4つの訪問看護ステーションおよび共立ク リニックで24時間管理する在宅患者は300人あまりで、当院はこれらの患者の在宅療養支援病院としての役割を果たしています。この在宅支援ネットワーク は、静岡県東部地域においては安定した地位を築いており、近隣の病院からも在宅医療・介護の受け入れ先として紹介が増えています。
 またビキニ核実験被害者が出た県としての被爆者医療の実践、元ハンセン病患者への医療協力、アスベスト問題等にすすんで取り組んできました。隣の御殿場 市にはハンセン病の国立駿河療養所があります。1990年当時、療養所の医師不足と不十分な検査機器で十分な医療が提供できないため、所長が国公立をはじ め、近隣の病院を訪問し、協力要請をしましたが、理解が得られませんでした。当院では職員学習会を開催し、職員の理解を深め、内科診療支援、外科的患者の 入院受け入れ、CT検査の受け入れなどを実施。駿河療養所への支援活動は現在にいたるまでつづき、職員・医系学生の学習の場としても位置付いています。

かかりやすい外来の検討

 病床数は現在84床です。2階病棟は54床の急性期病床で2009年3月に10:1看護加算を取得し、合わせて亜急性期病床・を16床として在宅支援機 能を強化しました。それまでの平均在院日数約24日が約12日まで減っています。3階病棟は30床の障がい者施設で、特定疾患およびがん患者をはじめとす る重症患者の終末期医療を実践しています。
 外来患者数は現在1日170人程度です。科別構成は、7割弱が内科、小児科・皮膚科・整形外科がそれぞれ1割ずつ。年齢構成では60歳以上が57%で 年々増えてきています。20歳以上の働き盛り世代は約30%、19歳以下が13%となっており、働き盛り世代の患者減が進んでいます。かかりやすい外来の 検討、日々の中断チェック、慢性疾患患者から進行がんや脳心事故をなくすための電子カルテを利用した定期検査の見直しをしています。またこの間取り組んで いる路上生活者支援パトロールにより、生活保護を取得し、当院に入院または外来受診した人は、この半年間で10人にのぼります。
 人権を守る運動と経営改善が結びつき、職員の確信につながってきています。
三島共立病院 事務長 遠山 陽一朗)

「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2009年9月号.No.445より

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