医療・福祉関係者のみなさま

2011年1月3日

心によりそう介護 余命一カ月からの回復 「生きる力」は延ばせる 石川・グループホームおんぼら~と 島西真弓(介護福祉士)

初めての看取り

 当グループホームの名前「おんぼら~と」は、金沢の方言で「ごゆっくり」の意味です。開設して八年、三ユニットに職員二七人(三チーム)が働き、あったかなケアをめざしています。
 私たちも最近では、終末期のケア、看取りを幾度か経験するようになりました。一昨年、一つのチームが初めて終末期の入居者二人を担当しました。はじめは「体調変化をどう把握すればいいの?」「夜勤の時一人で看取るのは不安」など恐怖感すらありました。
 和子さん(仮名)は九〇代女性、要介護4、糖尿病・認知症です。〇二年に入居。当時はシルバーカーを使って歩き、食事も自力でしたが、〇七年には筋力が 低下し車イスとベッドの生活に。〇九年には認知症が進行し、水や食物が飲みこめなくなり、脱水治療の点滴を二週間するうち、拘縮やじょく瘡も進行しまし た。
 関係者の合同カンファレンスが行われ、医師が胃ろうの提案をしましたが家族は断り、延命措置も行わず、当ホームで最期を迎えさせたいとの意向でした。〇九年七月時点の医師の診断は余命一カ月でした。
 良男さん(仮名)は八〇代男性で要介護4。〇九年六月に入居。糖尿病と認知症のほか、胆管や肺、直腸にがんがあり余命三カ月という状況でした。当初は歩行や食事も少しですが可能で、発熱や痛みの訴えもなく、家族は当ホームでの看取りを希望しました。

気持ちをくみ取ること

 チームの不安感を解消するため、カンファレンスを何度も行いました。医師・看護師を交えたカンファレンスでは病状変化の把握や緊急時の対応などを学習。ご家族も参加したカンファレンスでは思いを受け止めました。
 職員同士で不安も出し合い、私たち介護職にできることは「本人や家族の思いをくみ取る」「出されたサインの意味を知る」など気持ちを大切にするケアではないかと話し合いました。そして、他ユニットとも協力し合ってみんなでとりくもうと意思を固めました。
 人員配置や業務内容も改善しました。一人ひとりの役割を明確にし、個室でのケアが長びく時は声をかけ合うことに。言葉や態度などのサインを受け取った職 員は「こういう意味だと思う」と記録に残し、それを読んだ職員は「自分もこう思った」などを書き記し、共有しました。

肩の力を抜いて

 和子さんに「長生きしたいですか?」と聞くと、「したい!」とはっきり言いました。そこで、会話や散歩などで生活の喜びをもっと提供することにしまし た。職員の心には、「もっとご飯をたべて!」「もっと水分をとって!」という焦りの気持ちがあって、それが和子さんに過度なプレッシャーを与えていたかも しれません。そんな反省から「食事は三〇分を限度に終えて、あとの時間を和子さんが好きなことに使おう」と話し合いました。
 すると、職員も肩の力が抜け、「歌を歌ったら拘縮している手でリズムをとった」「会話の中で面白い言葉が出た」など、和子さんの良い表情や言葉、動作に 目がいくようになりました。和子さんも次第に元気だったころのように「おめぇ何しとる」などと話すようになりました。
 やがて、和子さんは食事がしっかりとれるようになってきました。今では、ホールに出て毎食七~一〇割ほど食べることができます。「花見に行きましょう」 「デパートはどう?」と誘うと、にこっと笑い、楽しみにしています。その回復力に驚きながら、職員のかかわり方と思いが変化したことも、和子さんの「生き る力」を延ばしたのではないかと感じます。

「あきらめない」を学ぶ

 良男さんは体調の変化が激しくなり、職員は「いつ、どうなるか」とびくびくして接していました。そこで、和子さんの経験から「良男さんに気持ちよく過ごしていただく」という視点でケアをすることにしました。
 カンファレンスで支援プランを見直し、環境を整え、良男さんの言葉や態度から気持ちを感じとれるように、会話や接する時間を多くしました。入居三カ月後 にはベッドから動けなくなりましたが、居室に伺うと、「丸い顔がきた」などと冗談を言って笑うようになりました。そして入居から五カ月目、ご家族が泊まっ て見守る中、永眠されました。
 心の安定によって「生きる力」は延ばすことができる、最期の時が来るまであきらめない、その大切さを、チームは二人から学ぶことができました。

(民医連新聞 第1491号 2011年1月3日)

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