医療・福祉関係者のみなさま

2011年1月3日

被爆の記憶を“世界遺産”に 原爆被害の悲惨さ語り継ごう

 広 島・長崎の原爆投下から六六年、被爆者の高齢化がすすみ残された時間が少ない中、人類唯一の体験を引き継ぐとりくみがすすんでいます。東京都内の被爆者や 弁護士、大学教授、映画監督らが、近く「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産資料館」(仮称)設立に向けて動きはじめます。同資料館は被爆に関する資料を収集・ 整理・保存するほか、ユネスコの「世界記憶遺産」※に登録し世界の共有財産にすることをめざします。被爆体験を引き継ぐ大切さについて、被爆者で医師の肥 田舜太郎さん(全日本民医連顧問)と、代々木病院精神科医の中澤正夫さんに語ってもらいました。(新井健治記者)

再び被爆者をつくらないために

 被爆者約二三万人(被爆者健康手帳保持者)の平均年齢は七六・七三歳(昨年三月現在)で、 被爆直後の記憶が確かな世代は七〇代後半から八〇代になります。被爆者の聞き取りについて、「私たちは今、最終走者のバトンを引き継ぐリレーゾーンに立っ ている」と指摘する識者もいます。
 聞き取りはこれまで、各種団体や個人、マスコミがそれぞれ独自に行い、記録した文書や映像などを冊子やウエブなどにまとめてきましたが、どこにどのよう な資料があるのかについては正確に把握できていません。被爆者が書き残した手記などは、本人が亡くなると家族が処分してしまう可能性もあります。
 設立をめざす資料館は、被爆者が生存するうちに貴重な体験談を収集するとともに、今ある資料の散逸を防ぎ、整理や保存に責任をもちます。また、被爆に関 するあらゆる資料をネットワーク化し、国内外に発信するセンター的な役割を果たします。
 収集・整理・保存をするのは原爆投下直後の体験だけでなく、戦後に被爆者が受けた差別とたたかいの記録、原爆被害全体の実相、国家賠償を求めた集団訴訟、内部被曝の実態など多岐にわたります。
 こうした活動をもとに、資料をユネスコの「世界記憶遺産」に登録することも目標の一部です。世界記憶遺産は世界遺産、無形文化遺産とともにユネスコが主 催する三大遺産事業の一つで、「アンネの日記」など一九三件が登録されています。

人間として死ぬことも生きることも許さない

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局次長で、構想を準備してきた岩佐幹三さん (金沢大名誉教授)は「核兵器廃絶が被爆者の願い。そのためには、核兵器をもっているかぎり、核戦争が起こる危険があることを、国民の、また世界中の人々 の共通理解にしていかなければいけません」と話します。
 岩佐さんは一六歳の時に広島の爆心地から一・二キロで被爆、母親と妹を失い孤児になりました。「被爆者は戦後も疾病と貧困の悪循環の中で生きてきまし た。人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許さない、それが原爆被害の実態です」と言います。
 残された時間を考えて「今、語っておかなければ」という被爆者は確実に増えています。岩佐さんは「再び被爆者をつくらないために体験を残しておこうとい う人が少なくありません。資料館づくりは被爆者にとっても、被爆者をささえる人にとっても大変重要な仕事です」と強調します。


※世界記憶遺産

 一九九二年創設。ユネスコが人類として残すべき歴史文書や芸術作品などを二年に一度選定して登録、世界中の人がアクセスできるように保存する。フランス人権宣言など七六カ国一九三件あるが、日本の登録はまだない

被爆体験を引き継ぐことは人類が生き残るための唯一の手段です

肥田舜太郎医師

 原爆被害とは投下された瞬間の巨大な爆発にとどまりません。空中に飛散したウ ラニウムの微粒子は、きのこ雲となって上昇し、やがて放射性物質として降下して人体に吸収されます。放射性物質は体内で核分裂を繰り返し、放射線起因の病 気を起こして生命まで奪います。ところが、米国は被爆時の強力な放射線だけに被害を認め、体内に吸収された放射性物質の被害は頑強に否定し、隠蔽(いんぺ い)してきました。
 人類が核兵器と共存できないのは、ウラニウムを地中から取り出し、殺人爆弾をつくって戦争被害の質と規模を拡大するとともに、平時の発電事業の中で気づ かずに無数のがん患者をつくり出して人類の滅亡をすすめているからです。
 原爆被害は、その本質をとらえれば、現在の私たちと未来の子どもたちの問題です。同時に広島・長崎だけではなく、世界中の問題です。だからこそ、最初に 原爆被害を受けた被爆者の証言は貴重で、世界記憶遺産として人類の共有財産にする価値があるわけです。
 放射性物質の人体への影響は現代科学では解明できていません。ただ、日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長として、一万人以上の被ばく者を診療し相談に のってきた経験から、「内部被曝こそ人類を絶滅させる脅威」と、とらえています。
 内部被曝はウラン鉱の採掘、核兵器の製造、原子炉の操業などあらゆる過程で起こります。チェルノブイリ原発事故やイラクで米軍が使った劣化ウラン弾によ る被曝にとどまらず、今、この瞬間にも新たな被曝者が世界中で生まれています。
 人類で最初に原爆被害を受けた日本人は、人類存続の危機を最初に告知された民族だと思います。被爆体験を引き継ぐことは、人類が生き残るための唯一の手段です。

 

一生追いかけてくる 被爆の記憶

中澤正夫医師

 被爆者が体験を語ることは、想像を絶する困難が伴います。私は二〇年以上にわ たって聞き取りをしてきましたが、途中で止まってしまうとか、泣き出してしまう人がたくさんいます。本物の地獄を見てきましたから、そもそも語れない人が 多い。普通の聞き取りで出る証言は、実は体験したことのごく一部分であることが多いわけです。
 精神科医として、被爆者の心の傷は極めて重篤で特殊なPTSD(心的外傷後ストレス障害)だとみています。一般的なPTSDは時間とともに小さくなった り、他人に語ることで楽になることがあります。ところが、被爆者のPTSDは六六年前と同等か、それ以上に大きくなっている場合もあります。
 フラッシュバックが恒常的に起きることも特徴です。記憶を呼び戻すきっかけは、あの日に似た閃光(せんこう)やにおいだけではありません。放射能被害の 影響で自分が体調を崩したり、同じ被爆者ががんになることが、記憶を呼び戻す刺激になり、新たな心的外傷を形成します。「放射能が一生追いかけてくる」わ けで、終わりのない史上かつてない残酷なPTSDです。
 被爆者は原爆投下直後にさまざまな体験をしていますが、時間が経過することで逆に鮮明になる記憶があります。「逃げる途中で手をさしのべることができな かった女学生の顔」など個人的な“見捨て体験”です。
 被爆者は「自分はなぜ生き残ったのか」との自責の念にさいなまれています。これは研究の過程でわかったのですが、最後に残るのは「自分が当時、人間とし てどうであったのか」という問いかけです。被爆者は戦後ずっと、人間の尊厳を問い続けてきたのかもしれません。
 生きる意味を深く考えてきた被爆者に出会い、証言にふれることは、「いのちを大切にする」という言葉を理解するきっかけになるでしょう。被爆体験を受け 継ぐ運動にかかわる青年職員が一人でも増えてほしいです。

(民医連新聞 第1491号 2011年1月3日)

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