事業所のある風景

2009年12月15日

石川/輪島診療所 「やさしい心と科学の目」を

 2007年3月25日に発生した能登半島地震での全日本民医連の皆様の、物心両面にわたる多大な支援活動に対して、まず、お礼を申し上げます。現在、震災後の復興に全力をあげています。

河口地域に開けた輪島平野

 輪島市は石川県の北部、能登半島の北に位置し、金沢市から120キロ、1万3200世帯、人口3万2500人の地域です。能登は富山湾や七尾湾に面した 地域を「内浦」といい、輪島はそれ以外の「外浦」地域。沖合には七ツ島、舳倉島があります。「外浦」地域は山地が海岸にせまり、急傾斜して断崖絶壁となっ ています。
 市の大部分は山地で、中央に567メートルの高州山など、400~600メートルの山々が8つあります。市の中央を北流する河原田川、鳳至川が合流して輪島川となり、海に注ぎます。この河口地域に開けた輪島平野に、私たちの診療所がある輪島の市街地があります。

「朝市」と「輪島塗」

 「輪島」といえば「朝市」。1000年前、住吉神社の境内で開かれていた物々交換が始まりとされています。朝市には新鮮な旬の海の幸、山の幸が並びま す。市の休みは毎月10日と25日だけ。今日も朝市のおばちゃんたちの「こうてくだー(買ってください)」という元気な声が響きます。
 能登では縄文時代からすでに漆器作りが始まっていたそうです。今の「輪島塗」は600年ほど前の室町時代に、輪島の重蓮寺に紀州根来寺の僧が来て、膳や 椀を作ったのが始まりとされています。「輪島塗」は付近の小峰山から出る「珪藻土」(けいそうど)という粘土を焼いて作った「地の粉」を下地塗りに用い、 それが「輪島塗」が丈夫だといわれる大きな要素の一つになっています。

社会運動家・川崎悦行生誕の地

 輪島は、社会運動家、川崎悦行(えつぎょう、本名は健次郎)を生んだ地でもあります。川崎は1915年、輪島男児小学校卒業後、同校高等科から金沢商業 高校に入学し弁論部員として活躍、社会運動にも関心を持ち同校を中途退学後、一時門前町の総持寺に入り禅僧となり悦行という僧名をうけました。その後上京 し社会運動にかかわります。現在の日本共産党の結成(1922年7月15日)に参加し、日本民主青年同盟の基礎をつくり、1923年に病死しています。

産声を上げたばかり

 輪島診療所は2010年4月に開設13年目を迎えます。「輪島にみんなの手で民医連の診療所を」と、奥能登健康友の会が1996年11月に結成され、住民の手で作り上げられました。
 開設時、友の会は2600人でしたが、現在6200人を超え、世帯・人口の19パーセントを占めています。職員も8人でスタートし、2000年以降、介 護事業所を次々開設し(訪問入浴事業もあります)、現在40人の集団になりました。輪島の長い歴史からみると、産声を上げたばかりです。
 「能登はやさしや土までも」と言われますが、私たちも歴史を受け継ぎ「やさしい心と科学の目」をもち、地域に根をはっていきたいと願っています。
輪島診療所 事務長 濱 茂夫)

 

「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2009年12月号.No.448より

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