事業所のある風景

2010年5月15日

東京/江古田沼袋診療所 さらなる発展をめざして

 通称「ぬましん」とよばれている江古田沼袋診療所は、東京・中野区の北側に位置し、西武新宿線沼袋駅から徒歩5~6分、商店街から少し入った閑静 な住宅街にあります。初めて来られる方は必ず迷うので有名です。建物は映画「ALWAYS三丁目の夕日」のロケにそのまま使えそうで、中に入るとその感を 一層強めます。
 晴れた日は屋上から富士山が見えます。東京にいながら田舎に帰ってきたような雰囲気が味わえる、そんなほのぼのとした診療所。職員も患者も気に入ってい ます。診療所はレトロですが、胃カメラやエコー検査、レントゲンなどの医療機器も充実しています。患者層は診療所ができて以来の元気な90代の方から、イ ンターネットで調べてくる20代の若者まで様々です。

お金の心配なしによい医療を

 診療所の歴史は古く、今年の3月15日で60周年。設立当時は「雨後の竹の子のごとく」と称されるほど、東京各地に診療所が40カ所もつくられたそうです。
 診療所の設立は、戦争で焼け出された低所得者の人々が密集した地域だった沼袋の地に「お金の心配なしによい医療を受けられるように」との願いで、「地域 の歯科医の方が発起人になり(設立時は歯科も併設)、高円寺の某信用金庫から18万円借入れ、当時の中野勤医協初代理事長の中川志磨医師(初代診療所所 長)が私財と医療機具一式を投入し建設。土地は26.8坪の借地を又借りし、地元の大工の手で竣工」(『中野勤医協の50年』より)となったそうです。
 長い間、所長をされていた坂本博医師は「地域の人たちの、地域の人たちによる、地域の人たちのための診療所」(50周年のあいさつ)と診療所設立時の思 いを語っています。その後、1963年には有床診療所(現在は無床)として移転新築(現在地)し、現在に至っています。
 しかし、比較的安定していた診療所の経営も5年前ぐらいから急激に悪化、診療所の存亡をかけて法人対策プロジェクトが設置されました。友の会会長にも参 加してもらい、問題点も明らかになりました。その大きな要因に、所長、師長、事務長が短期間で交代したことがあげられました。それぞれ理由はあるものの、 患者にとって不安で、すでに他の医院に変わった方や、ちまたでは「診療所は閉鎖する」などのうわさが飛び交うほどでした。

診療所の存亡をかけた努力が実を結び

  この2年半、所長、師長、事務長の人事を安定化させ、それまでの師長と事務長の常勤2人から事務1人を増やし、常勤3人体制にしました。さらに、所長と常 勤3人の力を寄せ合って・慢性疾患の全身管理強化のとりくみ、・健診後のフォローの強化、・建物は古いが待合や診察室の美化への努力、・往診の単位を増や し、在宅患者数もこの1年で2倍に、など、目に見えて改善が進んできました。
 また、困難なとき、診療所にとって一番頼りになるのは友の会の存在です。真摯に努力している診療所の姿を役員の方々が地域で口々に伝え、患者が戻ってきました。
 今、創立60周年という節目と、この間の成果を土台に、老朽化した診療所の新築移転が検討されており、地域になくてはならない診療所として、さらなる発展が求められています。
江古田沼袋診療所 事務長 加藤 秀大)

「民医連事業所のある風景」 『民医連医療』2010年5月号.No.453より

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