事業所のある風景

2010年7月15日

神奈川・川崎セツルメント診療所 セツルメント(Settlement)とは

 セツルメント(Settlement)とは定住、福祉事業という意味の英語です。イギリスのケンブリッジ大学などの学生たちが、産業革命で発生した労働者の街に入って生活向上の活動をしたのが始まりです。
 日本では、関東大震災の被災者に東京帝大生たちが、奉仕活動したことから全国に広まりました。
 川崎セツルメントは、1951年夏、東大生によって開設されました。川崎セツルメント診療所は、結核の慢延、チフス、赤痢の発生などから医療施設の必要 を痛感し、東大の医師と協力し、地元古市場の有志の手によって、東大セツルメント古市場診療所の名称で、古市場2丁目98番地に設立されました。
1951年 11月 設立
1958年 5月 古市場2丁目80番地に移転
1973年 7月 川崎医療生活協同組合と統一
1986年 3月 現在地に新築移転

 この文章は、川崎セツルメント診療所(以下セツル)の入口に掲げられています。
 診療所の名前からもわかるように、セツルは東大セツルメント活動から生まれたものです。その活動には絵本作家の「かこさとし」さんも参加されていました。

地域に密着して

 私も地元で育ち、幼いころからセツルへ通いました。小学生のころ、セツルに行くと患者がいっぱいで、2階に上がる階段にも患者が座って待ち、中に入れない人は外にあるベンチに座って待っていました。下駄箱も玄関も靴でいっぱいで、玄関の外に靴が置いてありました。
 お昼休みになると、待合室が職員の食堂に変わります。机を並べてその両側に職員の手作りでしょうか、ご飯や味噌汁を並べてにぎやかに食事していたのが思い出に残っています。
 熱が高く体が動かせないときも、医師と看護師がすぐに家に来てくれて、親切に診てもらったのも覚えています。セツルが地域に密着していると感じる出来事でした。

「セツルがなかったら死んでたよ」と…

 現在の川崎セツルメントは、1日の患者数80人ほど、月に1200人(実人数)ほどの患者を内科中心に診療をしています。訪問診療も積極的にすすめ、管理数100人になっています。
 患者の多くは65歳以上の高齢の方で、全患者の7割近くを占めます。そのため、診療所まで歩いてきた方が、帰るときに雨が降り困っていると、職員が「車で送りましょうか」と声をかけてお送りすることもあります。
 一人暮らしの人や高齢のご夫婦からも「具合が悪いけど、診療所まで行けない」という電話が入ります。そんなときも、医師・看護師が往診するか、職員が車 を出して迎えに行きます。患者から「本当にセツルはありがたいね」「セツルがなかったら、私は死んでたよ」などの声を聞くと、セツルで働いている意味を感 じ、うれしくなります。
 セツル地域の支部は全部で8支部、4000人近い組合員が班会やまちかど健康チェックなどの地域活動や、デイサービスのボランティア活動をしています。職員と組合員の交流も多く、職員の班会参加率は法人トップクラスです。
 今後も川崎セツルメント診療所は、「地域まるごと健康づくり」を合言葉に、地域になくてはならない施設をめざしてがんばります。
川崎セツルメント診療所 事務長 城谷 創一)

「民医連事業所のある風景」 『民医連医療』2010年7月号.No.455より

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