民医連新聞

2007年11月5日

記者の駆け歩きレポート(18) 和歌山県民主医療機関連合会 待望の奨学生が誕生 共同組織と2年ごしで

 「医学生と語り、中低学年の奨学生を増やそう」。大運動のなか、各地で医学生と民医連を結ぶ、たくさんの物語が生まれています。 その一つが和歌山民医連。全国で唯一、奨学生がいない県連でした。〇五年に「奨学生を増やす推進本部」をつくり、組合員さんと全職員が協力し、あきらめず にとりくんだ結果、待望の奨学生が誕生しました。(板東由起記者)

毎週ランチミーティング

 午前一一時。和歌山医科大学から歩いて二分、新築二階建ての医学生センターを訪れると、組合員の山本佳代子さんがエプロン姿で迎えてくれました。毎週のランチタイムミーティングの日。学生と組合員さんたち一〇数人分の昼食を用意するので、とても忙しそうです。
 今日のメニューは梅ご飯、かき玉汁、豚肉と根菜の煮物、サラダに焼き魚。魚は山本さんの夫が「学生たちに食べさせて」と釣ってきたものです。「しっかり栄養とって、勉強がんばってほしい」と山本さん。
 一二時を過ぎると医学生たちが続ぞくと集まってきました。一年生が五人、二年生が二人、三年生が一人。自分たちでご飯をついで席に座り、「今日も栄養満点のランチだ。やったぁ」と、にぎやかな食事が始まりました。
 一息つくと、組合員の山本尋高(ひろたか)さんは「赤ひげ、見に行かない?」と、部屋に貼ってあるポスターを指さしました。医学生たちに向ける組合員さんの目が、とても優しいのが印象的でした。

全支部に足を運び

 〇五年三月に奨学生が卒業し、和歌山生協病院で研修を開始しました。それ以降、和歌山民医連の 奨学生はゼロ。同年七月の「全日本民医連・中低学年の奨学生を増やす大運動」で推進本部をつくる時、医師や事務長などに加え、医療生協の副理事長・木下和 久さんにも声をかけました。県内に二万四〇〇〇人以上いる組合員さんの力をかりたいと考えたからです。
 「そうか! 医学生に民医連、医療生協の活動や姿勢を伝えることは大切や。なんでもやる」と木下さんは引き受けました。「心強かった」と医学生担当者の 根来(ねごろ)亮一さん。ここから二年越しのとりくみが始まりました。
 担当者は二〇支部の運営委員会や総代会、県内の組合員活動交流集会など、組合員が集まるところすべてに足を運びました。「このままでは後継者がいなく なってしまう」と現状を伝え、「医学生を紹介してほしい」「みなさんからも医療生協の活動を医学生に伝えて」と頼んでまわりました。「そんなに大変なん か。生協病院はどうなるんや?」と驚きと不安の声もありましたが、「なんとかしなければ」と医学生の紹介が出始めました。

推進本部を継続し

 この年に紹介があった四人からは、奨学生の誕生はありませんでした。そこで、大運動期間最後の推進本部会議は「ずっと医学生に関わりたい。奨学生の誕生にこだわろう」と一致し、解散せずに体制を続けることにしました。
 〇七年、県連の事務所を医大近くの医学生センターに移しました。新入生をはじめ、もっとたくさんの医学生がセンターを訪れるように五~六月を独自に「強 化月間」と決め、毎週夜、医学生向けの学習会に、医師や多職種が講師として参加しました。月一回だったランチを毎週にするため、医療生協の全支部に協力を 求め、担当制にしました。そうすると、担当者が医学生とゆっくり話せる時間が増えました。今年の新歓企画に参加した学生がランチに友だちを誘ってくるよう になり、二人から四人、六人と増えてきました。
 そして、ついに「奨学生になりたい」の声が。「職員や地域の人たちが真面目に向き合ってくれ、うれしかった。ここでは平和について心置きなく話せた」。 理由の一つです。決意をした学生は組合員活動交流集会で奨学生になったことを自ら報告し、拍手喝采をあびたそうです。組合員さんは「長生きしてよかった」 と喜びました。
 根来さんは「まだまだ奨学生の仲間を増やしたい」と意欲満々です。

(民医連新聞 第1415号 2007年11月5日)

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