民医連新聞

2007年12月3日

学術・運動交流集会 広島民医連現地企画 被爆ピアノコンサート ♪平和の音色を感じて

 爆心地から一・八㎞のところで被爆したアップライトピアノ。調律師の矢川光則さんの手で、再び美しい音色を奏でるようになりました。「平和の大切さを感じてほしい」というかのように、音色が会場いっぱいに響き渡りました。(横山 健記者)

 会場には一〇〇人を超える人が集まりました。矢川さんは「被爆ピアノのほとんどは博物館などに 所蔵され、触れることもできません。ピアノは楽器です。みなさんに触れて、弾いてほしい」と話しました。コンサートは、横山美和さんのピアノ演奏、古本美 樹さんの詩の朗読・歌。美しく重厚な音色と透き通る声が会場を魅了しました。

ピアノが伝える被爆

 矢川さんは「古い」というだけで簡単に処分されるピアノを「自分にできる環境保護は、ピアノのリサイクル」と、ピアノを修理し、福祉施設や病院へ寄贈する活動をしています。
 そんな矢川さんと被爆ピアノが出会ったのは二〇〇五年。八〇歳近いミサコさん(仮名)から「子どものころから弾いていた愛着のあるピアノ。どちらかで使ってもらえれば…」と託されました。
 ピアノがあったミサコさんの家は、原爆でドアが吹っ飛び、天井をささえる梁も落ちました。応接間にあったピアノには、無数のガラス片が突き刺さっていました。
 矢川さんが預かった時、半分の鍵盤が動かない状態でした。このピアノが矢川さんに原爆や平和を考えさせました。「ピアノ自身が被爆を伝えてくれる」と、ピアノとともに全国で被爆コンサートを開いています。
 「この被爆ピアノは、人間でいえば『被爆者』です。つらい思いを乗り越えてきたピアノの力強い音色には、被爆者の声と同じ説得力があります」と、矢川さん。

触れて感じる平和の思い

 演奏終了後、参加者全員がピアノに触れ、鍵盤を叩いて、その音色を確かめました。
 広島医療生協の組合員理事の丸山弘子さんと笠真佐子さんが、連弾を披露しました。広島共立病院の回復期リハ病棟で週一回のレクリエーション(演奏・合唱)を終えて駆けつけました。
 丸山さんの家にもピアノがありました。お姉さんが大切にしていたピアノは、約二㎞のところで被爆。屋根が飛ばされ、黒い雨に打たれました。子どもだった 丸山さんは疎開中、嫁いだ姉のピアノは兄がトタン板を上に置いて、守りました。「姉は悔しかったんでしょう。しばらく捨てきれず保管していましたが、手放 しました。矢川さんがいれば、修理をお願いしたんですけどね」と、当時を思い出していました。

*  *  *

 矢川さんは、自前のトラックでピアノと各地を回っています。「来年はピアノをアメリカの学校に持って行き、子どもたちに原爆がどういうものかを知ってもらいたい」と語りました。

(民医連新聞 第1417号 2007年12月3日)

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