民医連新聞

2007年12月17日

医師医学者の加害「くり返さない」 「九条の会・医療者の会」が3周年記念講演会

 「九条の会・医療者の会」は、一一月で発足三周年を迎えました。記念講演会を一一月一〇日に東京で開き、約六〇人が参加しました。また、八~一〇日には別会場で「戦争と医学」パネル展示も行い、多くの人が医師・医学者の戦争加担の事実に驚きました。

 記念講演会では、五人が戦争体験や研究結果を紹介しました。
 会の呼びかけ人の堀口雅子さん(産婦人科医)は、「当時は女学生。東京大空襲など実家にも二度、焼夷弾が落ち、姉と消火した。終戦後、ゆっくり眠れると ホッとしたことを覚えている。当時、女性は兵隊となる子どもを生む道具。心臓病の女性が妊娠した時、まわりの人たちは『(あなたが死んでも)大丈夫、私た ちが育てるから』と。女性に人権なんてなかった」と、こういう時代をくり返してはならないと訴えました。

仲間も人体実験に

 “人間と性”教育研究所長の高柳美知子さんと元少年兵の篠塚良雄さんは、篠塚さんの戦争体験をまとめた『日本にも戦争があった~七三一部隊元少年隊員の告白』を出版しました。
 篠塚さんは一九三九年、一五歳で関東軍防疫給水部本部(七三一部隊)に配属されました。そこで憲兵から「見るな、聞くな、言うな。逃げた者は処刑だ」と いう教育を受けました。多くの医学者が集まってくる様子に篠塚さんは「軍事教育で育ったので恐怖心はなく、やりがいを感じていた」と言います。
 そこでは細菌兵器をつくるため、ノミを大量生産していました。篠塚さんたち少年兵は、温度・湿度が高い暗室で、死んだネズミを取り替える作業に従事させられました。
 ある時、仲間の一人がペストに感染。ペスト菌生産は極秘研究だったため、彼は陸軍病院には行けず、何と中国人や韓国人捕虜(マルタ)と同じく、生体解剖 されました。「上官の命令は、天皇の命令と同じだった。本当にむごい」と、篠塚さんは語りました。
 高柳さんと篠塚さんは、中学校や地域をまわり、子どもたちに人体実験や戦争の悲惨さを訴えています。

罪に向き合うこと

 福島県立医科大学講師の末永恵子さんは「医療・医学が戦争にどうかかわったか」の研究結果を紹介しました。
 日本軍が中国に侵攻した時、「軍閥(ぐんばつ)や匪賊(ひぞく)を討伐(とうばつ)、王道政治にするため」と宣伝したことについて、「目的はアヘンと資源の獲得。これはアメリカのイラク侵攻と同じ」と話しました。
 また侵略した地域で「住民を無料で治療する」と宣伝し、研究団を組織。風土病の甲状腺腫の患者などを集めました。「軍の目的は、兵隊を風土病から守るこ とと正義の軍隊としてアピールすること。医学者の目的は住民を生きたまま実験台にして、未知の病気を研究すること。二つの利害が一致し、恐ろしい行為にお よんだ」と、説明しました。
 莇(あざみ)昭三医師(全日本民医連名誉会長)は、「戦後の日本政府や医学会は、人体実験の問題を他人事のように扱っている。しかし、当時から医学会 は、生体実験を知っていた。今こそ日本医学会は、過去の組織犯罪に向き合わなければならない」と断罪しました。
 最後に、会の呼びかけ人の一人、肥田泰・全日本民医連会長が「加害の歴史をくり返してはならない。もっと医師の賛同者を増やし、平和な世界をつくろう」と訴えました。

(民医連新聞 第1418号 2007年12月17日)

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