医療・看護

2011年12月5日

医師たち、動く 50年ぶり規模「医療崩壊止めたい」 ドクターズ・デモ2011

 「不健康な日本の医療制度を国民と一緒に治しましょう」。主催者あいさつ(全国医師ユニオン代表・植山直人さん)に、参加者が拍 手で応えます。一一月二〇日、医療制度改悪に反対し、医療の再生を求める「ドクターズ・デモンストレーション2011」(同実行委員会主催)が東京で行わ れ、医師・歯科医師八〇〇人を含む二五〇〇人がアピールしました。医師たちがこの規模で集会を開いたのは、五〇年ぶり。当時は国民皆保険制度を求める運動 でした。いま、再び医療崩壊を防ぐために立ち上がりました。(丸山聡子記者)

 雨上がりの日比谷野外音楽堂に、白衣の医師や医療関係者が続々と集まってきます。

医師は六文銭持たされ

 目立っていたのが、深紅に黒い六文銭を抜いたのぼりの埼玉保険医協会の集団です。「六文 銭」は戦国武将の真田家が使った紋で、六文は三途の川の渡し賃。「いつでも命を捨てる」という覚悟を示しています。「『日本の勤務医たちも六文銭を持たさ れて働いているようなもの』という意味を込めて」と発案者の山崎利彦さん(同会常任理事)。「過労死する医師を出したくない」と話しました。
 主催者あいさつに続き、被災地から三人が登壇。岩手・大船渡病院救急センター副センター長の山野目辰味さんは、避難所でのスクリーニング検査で血圧が平 均一五〇、仮設住宅に入った今も、医療の再建が遅れている陸前高田市では平均で一四〇台後半という、被災者の深刻な健康状態を報告。「予防措置を講じたい が、同市では市職員も多くが犠牲になり、特に保健師は半数が亡くなった。支援も引き揚げた。今なお戦場をかけずり回っている状態です」と語り、支援の継続 を訴えました。
 宮城からは坂総合病院の藤原大医師が「震災で国民の貧困と格差は明らかになった。被害の大きかった沿岸部は一次産業が中心。そこにTPPを導入すれば、 地域は壊滅し、さらに格差は拡大する」と発言。福島からは生協いいの診療所の松本純医師(福島県民医連会長)が「我が家の近くの米からセシウムが検出され た。おいしい福島の米がなぜと、地元は怒りでいっぱい。もう原発はいらない」と、訴えました。
 そして、歯科、リハビリ、中山間地病院、小児科など、各現場の発言が続きました。

「変えるために参加した」

 集会後は、「震災復興」と「医療再生」を掲げてドクターズ・ウオーク。北海道から参加した 医師の瀬川美紀さん(帯広病院)は、「子育て中なので業務を軽減してもらってはいるが、それでも子どもが自分でカギを閉めて登校し、下校後も家で一人で親 の帰りを待っています。女性にとってたいへんな職場は男性にもたいへんで、医療スタッフも余裕がない。超多忙な医師がこれだけ集まったのだから、いい方向 に動かしたい」と語りました。
 大阪・耳原総合病院の研修医・有馬優さんは、「経済的な問題で治療が続けられない、入院ができないという患者さんがいます。誰もが健康を一番に考えて医療を受けられるようにしたい」と。
 同院病理科医の木野茂生さんは、「朝礼にも集まれず、一人に何かあると病棟を守れない」と、慢性的な人手不足を指摘。「国は医師の偏在というが、どこに 偏っているのか。医師の時間外労働は月一〇〇時間超もざら。厚労省はそういう実態を把握すらしていない。この事態を変えなければと、大阪でのドクターズ・ ウオークにも参加しました」。

 集会に先立ち、民医連では、「医師として被ばく者にどう向き合うか」と題して被爆直後の広島から被爆者を診てきた九四歳の医師・肥田舜太郎さんの講演会を開き、二六〇人(うち医学生二〇人)が参加しました。
 肥田さんは治療法が確立しないなか、被爆者の苦しみに寄り添い、「生き抜こう」と言い続けてきた経験を紹介。「フクシマ後、放射能被害が必ず出てくる。 不安を訴えて来る患者を『心配ない』と追い返してはならない。生きる権利を守ることこそ、医師の務めであり、人間を診ることこそ、民医連にできる医療。皆 さんの頭上には、民医連という星が輝いている」と語りかけました。
 講演後、肥田医師と握手や記念撮影を求める医学生、看護学生の列が続きました。

(民医連新聞 第1513号 2011年12月5日)

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