事業所のある風景

2012年2月15日

山梨/武川診療所 「人生の最期はあの診療所で」といわれるように…

 武川診療所は山梨県北西部に位置する北杜市にあります。北杜市は、北は八ヶ岳連峰、南西は甲斐駒ケ岳から連なる南アル プス、東は茅ケ岳、北東は瑞牆山などの日本を代表する美しい山岳景観に囲まれています。市の面積は山梨県下で最も広く、これは「平成の大合併」により、7 町村が合併したためです。人口約4万7000人。65歳以上の人口が占める割合が高く、高齢化が進んでいる地域となっています。

「医療で村の再建の一助に」と…

 武川診療所は1959年7月、すでに武川農業会によって運営され ていた診療所を、医師不在のため山梨勤労者医療協会が引き継ぐことになりました。しかし開設直後の8月、台風7号が山梨を襲います。中でも山津波に襲われ た武川村(当時)は流出家屋128戸、死者行方不明者23人の大きな被害を受けました。当時の所長はこう書き残しています。「僅かに残った桜の木の下に、 無傷で泥をかぶった診療所が毅然と建っています。(中略)よし! やるぞ! 医療で打ちひしがれている村の人々を励ますんだ。医療で村の再建の一助に!  その心の灯をともすんだ! 心で叫び、職員皆で喜び合いました」。
 当時診療所にはけがをした被災者が殺到。来院できない人からは往診依頼が殺到するなど、すさまじい状況だったそうです。診療所は全職員あげて、被災者の 無料診療や使用していない病棟を開放するなどし、電話も通じない、電気もつかない、孤立無援の状態の中で無我夢中で治療にあたったそうです。「この大災害 により武川診療所が『ヨソモノ』の立場から一気に村人の心に溶け込んだ診療所として一歩を踏み出した」と当時の所長が書き残しています(山梨勤医協50年 史、武川診療所30周年記念誌参考)。

地域のみんなのために

 開設から52年。「患者さんのために、地域のみんなのために」を合言葉に、奮闘する毎日です。
 微力ではありますが、武川診療所の歴史はしっかり職員に受け継がれていると思っています。武川は交通の便が悪いため、地域のお年寄りが安心して受診でき るように17地域約100人ほどの送迎を行っています。また、小児科の専門医が不足している地域でもあるため、週に4単位の小児科医の支援も受けていま す。基本は「診る。患者、地域の方の話しや訴えは聞く」。そういう姿勢で毎日を送っています。

所長は山梨県第1号の家庭医

 現在の遠藤武男所長は17代目の所長になります。2011年7 月、山梨県第1号となる家庭医の専門医になりました。「妊婦・授乳婦をはじめ乳幼児から高齢者まで、年齢や性別、臓器にとらわれない『総合性』、病院、診 療所など医療機関同士を結ぶ『つながり』、そしてお互いの『コミュニケーション』。その人の『価値観』『状況や経過』を大切にしています。『日常起こる問 題を気軽に相談したい』『人生の最期はあの診療所で看てもらいたい』そう思ってもらえるような信頼関係がつくれるよう、日々努力を続けていきたい」と語っ ています。
武川診療所 事務長 内田 芳枝)

「民医連事業所のある風景」 『民医連医療』2012年2月号.No.474より

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