事業所のある風景

2012年8月15日

長崎/香焼民主診療所 住み慣れた町で安心して暮らし続けたい

 香焼(こうやぎ)町はもともと、香焼島と陰ノ尾(かげのお)島からなる離島でしたが、戦前戦後の造船・石炭産業急成長のなかで海面埋め立てが進み、1969年に三菱長崎造船所の「世界一の100万トンドック」を誘致して長崎市と陸続きの半島となりました。

民主町政から要請を受けて

 坂井孟一郎町長が率いる民主町政(1947~1987年)時代 は、町の面積の3分の1を占める三菱重工長崎造船所の税収にも支えられ、小学校給食費無料、保育所全入、65歳以上の医療費全額助成、無料町民健診等、独 自の福祉政策は「日本一の福祉の町」と呼ばれ、住民にはとても住みやすい町でした。
 民主町政は、残された課題である健康管理の総合センターとしての町立病院建設をめざしましたが、自治体病院の経営の困難さを考え、民医連に香焼町での病 院建設を要請。上戸町病院建設という大事業にとりくんでいた健友会でしたが、町長の熱意におされて開設を決意。町民有志による建設委員会が建設協力債募集 などに奔走し、1982年10月、香焼民主診療所が誕生しました。民主町政時代は、町の保健行政と一体になって、町民健診など町民の保健福祉充実の文字通 りセンターの役割を果たしていました。

患者から信頼、感謝の声も寄せられて

 現在、町の人口は約4000人。平成の大合併で2005年1月に長崎市へ編入されてからは、福祉制度も全廃となり、若い世帯を中心に人口流出が進んで、高齢化率の高い町となっています。
 当診療所は内科、整形外科、外科、リハビリテーション科を標榜、デイケアと居宅介護支援を併設し、1日平均外来患者数は約60人。本田英雄所長のもと、 上戸町病院からの医師支援に支えられています。
 開設以来、在宅医療を大きな柱としてきましたが、高齢化の進む地域ニーズに応えるために「待つより行く」をテーマに2010年10月、午後の診療を全面 休診として在宅訪問診療をより強化した診療体制に変更。現在、約70人の患者を24時間体制でフォロー、2011年度は11人の看取りを経験しました。
 この間、診療所建設時から深くかかわってきた患者が在宅輸血治療を希望され、職員全員で知恵を絞ってとりくみ、ご家族から「ここに診療所があって本当に よかった」と感謝されたことや、夫のお墓参りに行きたいという在宅患者の思いを医師、看護師だけでなく診療所全体で実現できたことは、全職員にとって日々 の医療活動を行ううえでの大きな糧となっています。
 2011年6月からは無料低額診療事業も開始。就学援助世帯でも利用できるよう制度を拡大し経済的困難で受診できなかった患者から信頼、感謝の声も寄せられています。

開設30年を迎えて

 今年、香焼民主診療所は開設30周年を迎えることができました。これまで多くの方々に支えていただいた歴史を忘れず、友の会、診療所共同スローガンである「住み慣れた町で安心して暮らし続けたい」を理念に今後も地域の医療、暮らしを支えていきたいと思っています。
香焼民主診療所 事務長 浦川 隆宏)

「民医連事業所のある風景」 『民医連医療』2012年8月号.No.480より

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