事業所のある風景

2013年8月15日

広島/協同診療所 この地にこの診療所が あってよかったと言われ続けたい

 協同診療所のある安佐南区は広島市の北部に位置し、市の中心部から20分程度のベッドタウンとして小・中学校が新設され続けている人口増加地域です。
 この地は1972年に広島市に合併されるまで安佐郡祇園町と呼ばれ、原子爆弾が投下された際に広範囲で黒い雨が降り、避難して来る被爆者の救護で二次被爆をされた方の多い地域でもあります。

広島医療生協の発祥の地

 1960年ごろ、この祇園地域は、患者がたらい回しにされるような〝医療砂漠〟といわれる貧困な状況にありました。
 「働くひとの立場に立って医療活動をする医療機関ができたら…」と、呼びかけに賛同した人々で、医療生協という形をとり、「300人の出資者と1日50 人の来診者」という目標を持って、1966年9月1日に安佐診療所が開設されます。「キャベツ畑の診療所」はその4年後、20床の協同病院として歩みを進 め、1977年に広島共立病院が開設されると、病棟機能を移行し、地域に根ざした診療所として、医療活動を行ってきました。

安心して住み続けられるまちづくりの拠り所として

 2002年11月、協同診療所は建物の老朽化の解消と介護事業の 拡大をかかげ、全面リニューアルを行いました。現在では、診療機能のほかに、ショートステイ、デイサービス、デイケア、居宅介護支援事業所、ヘルパース テーションを抱え、法人内でも介護事業に特化した診療所として奮闘しています。
 また、診療所を支えている地域組合員の活動も活発で、診療所の集会室はサークル活動(リトミック、フラダンス、ピアノ教室、ゴスペル、社交ダンス、スト レッチ体操、ジャズダンス、コーラス等々)であふれ、月に一度の「ふれあい会食」には70食あまりの昼食をボランティアで提供しています。利用委員会の地 域組合員を中心に、リニューアル後から毎年開催している「ふれあい祭り」は、400人余りの参加者でにぎわいます。
 日々、「気になる方が…」という地域組合員からの相談に応じ、安心して住み続けられる地域の拠り所であり続けるために、地域包括支援センターや区の健康 長寿課とも連携をとりながら、今後も地域住民の要求に耳を傾け、ともに歩んでいきます。
(協同診療所 事務長 藤代 えり)

「民医連事業所のある風景」 『民医連医療』2013年8月号.No.492より

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