事業所のある風景

2013年10月15日

東京/王子生協病院 地域住民の生活と健康を守る砦(とりで)として

 王子生協病院のある東京都北区は東京23区の北部に位置し、明治通り、環七通り、環八通り、中山道など幹線道路が通っています。JRの駅数が23区中で最も多く(10駅)、都心へのアクセスは比較的便利な位置にあります。
 北区域は、明治時代から戦前にかけ、軍の兵舎や倉庫、工場などが次々と転入・拡張され、重化学工業中心の工業地域として発展しました。多くの軍事施設や 軍需工場が存在していた北区域は、「軍都」とも称され、米軍の無差別都市爆撃の猛威に見舞われることにもなりました。この戦災で、王子駅前や近隣が焼け野 原になり、軍需工場を失った工場群は撤退し、団地や住宅が建設されました。王子生協病院から歩いて10分ほどのところにある豊島五丁目団地は、日産化学工 業王子工場の跡地に団地開発をしたところです。

地域における病院の歴史と役割を再認識

 戦後の廃墟の中から1948年、地域住民の生活と健康を守る砦と して購買・医療・保育の3部門を持つ労働者クラブ生活協同組合を設立しました。王子生協病院の前身は、この労働者クラブ生活協同組合の診療所で、1968 年に「王子生協病院」と名称変更をしました。現在では3部門をそれぞれ分離・独立し、医療部は「東京北部医療生活協同組合」になり、1988年に「足立保 健生活協同組合」、1997年に「北病院」、2001年に「荒川生活協同組合」と合併し「東京ほくと医療生活協同組合」となりました。
 2013年4月に、新病院が全館オープンしました。一般病棟92床、障害者病棟43床、回復期リハビリテーション病棟42床の合計177床でのスタート です。王子生協病院の現地建替計画が2009年に総代会で確認されてから、足掛け4年の長期の計画でした。工事は隣接する保育園の移設から始まり、第1期 工事が2010年3月~2011年6月、2011年10月からI期棟での診療を開始し、同時にII期棟建設工事を進めました。
 労働者クラブ生協からそれぞれ分離独立した隣接するクラブ保育園、生活協同組合コープ東京(現在はコープみらい)の協力を得て実現することができました。
 建設工事が着手されてからの2年間、仲間増やし、出資金集めを地域の組合員、職員とこれまで以上に奮闘してきました。2012年度は目標の2億円の出資 金を集めることができました。2月3日に開催された「王子生協病院の全館完成を祝う集い」には1100人が参加しました。
 こうした共同のとりくみを通して、組合員をはじめとする地域の人々の奮闘と王子生協病院への期待をあらためて実感し、この地域における病院の歴史と役割を再認識することができました。

組合員や地域住民の生涯の主治医として

 人口減少、超高齢化社会が進行し、高齢者の医療、介護の需要が倍加、貧困と格差が進行している時代に王子生協病院をはじめとする東京ほくと医療生協の果たす役割の大きさを痛感しています。
 病院の医療構想は(1)地域医療を担う病院、(2)在宅のバックアップ機能、(3)保健予防活動、(4)各種の人材育成を担う病院という4つの柱を中心 としています。そのなかで2014年度には緩和ケア病棟の開設も計画しています。
 「命の平等」の理念を徹底して追求し、この地域の主治医、生涯の主治医として安心して住み続け、健康に老いることができる街を、組合員をはじめとする地 域の方々、医療、介護の事業所の方々と手を取り合って作り続けていきたいと思います。
王子生協病院 事務長 阿部 研一郎)

「民医連事業所のある風景」 『民医連医療』2013年10月号.No.494より

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