事業所のある風景

2013年11月15日

京都/九条診療所 地域医療のさらなる充実と発展を

 東に鴨川、西には五重塔で有名な東寺があり、JR京都駅からも南へ徒歩数分という九条診療所ですが、ここ東九条はみなさんがお持ちであろう京都のイメージとはほど遠い、非常にパンチの利いた、強烈な個性のある地域です。

地域住民に支えられて

 地域住民の2割が在日外国人であることから、今この時代に読み書 きのできない人もいて、病識のない人も多い。患者の3割は生活保護受給世帯、無料低額診療の利用者が2割と大変多いことも、九条診療所の大きな特徴です。 ほんの20年ほど前まで、行政に見捨てられたスラム街といわれていたこの地域では、日々の暮らしに誰もが必死。そんな人たちを相手に、うわべだけの正論や 理屈では通用しません。「病人だったら医者の言うことを聞け」なんて権威はまるでないのです。
 向こうも必死なら、こっちも本気。腰をすえ根性を入れ、強い意志を持って地域医療と向きあう覚悟を持たないと、ここでは仕事になりません。それでも、一 度信じられると見込んだら、まるで身内のように慕ってきてくれる。この社会的、経済的には恵まれない土地で、九条診療所が歯科を併設し、訪問看護ステー ションの開設や居宅介護支援事業所の認可を受け、ことし60周年を迎えられるのは、職員が一丸となって地域密着型医療に尽くしてきた情熱と、それを受け入 れ、評価してくださる正直な患者たち、地域の医療機関、介護福祉施設、行政との良好なネットワークがあるからこそです。

山宣の志を引き継ぎながら

 勤続20年になる山本勇治所長は、昭和初期の代議士、山本宣治 (通称山宣)の孫にあたります。山宣とは産児制限や平和運動に命をかけた人物で、1929(昭和4)年には天下の悪法、「治安維持法」に国会で反対し、そ の結果右翼に暗殺されて、わずか39歳で生涯を閉じました。
 この暗殺が契機になり誕生したのが「無産者診療所」で、現在の民医連です。貧富や生まれに関係なく、誰もが安心して医療が受けられることが創設の目的で あり、この志は今も変わらず引き継がれていることを山本所長は日々現場で実感しているといいます。
 病気を治すだけではなく、患者の生活を丸ごと受け止め、現実に寄り添うこと。困ったことはないかと電球を換えるのを手伝ったり、隣近所とのトラブルに一 緒に対応する、郵便物をチェックしに行くなどするなかで、何が生活改善のヒントになるだろうと探ったり、無料低額診療の相談につなげたりと、誰もが差別な く安心して受けられる医療の実現に奮闘しています。
 東九条に九条診療所ありと、確固たる自信と使命への自覚、民医連の誇りを持って、これからも心の通った医療の草の根活動に、スタッフ全員でまい進していきたいと思います。
(九条診療所 事務長 小竹 正彦)

「民医連事業所のある風景」 『民医連医療』2013年11月号.No.495より

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