医療・福祉関係者のみなさま

2014年3月17日

全体会の発言から

3年たっても遠い宮城の復興
宮城 阿南陽二(医師)

 復旧・復興はすすんでいません。
 住まいの問題では、仮設住宅の入居が約三万七〇〇〇戸・八万九〇〇〇人、県外避難者も八一〇〇人超。復興公営住宅の整備は遅れ、計画に対し着手率は六四%、完成は二%です。なお、復興公営住宅への引っ越しは自己負担、敷金が家賃三カ月分というのも高い壁です。
 医療面では、被災者の窓口負担免除の打ち切りが問題です。福島、岩手の二県は、国の支援が打ち切られても免除を続けました。受診中断などの抑制も起きて います(県保険医協会調査)。仮設の健康相談でも、血圧や血糖値の測定を拒否する人がいます。「結果が悪いのは分かっている。受診するお金もないし」とい う理由です。四月から復活が決まりましたが、被災者の中でも低所得の人に対象を限定するなど課題も多い。なお沿岸部では、心の問題で子ども、親、教員への 支援も必要です。
 失業、休業者も多く、震災前の水準に業績が回復した企業は三六%に留まります。地域や業種間の格差も顕著で、建設業の六六%が回復したが、水産食品加工業では一四%です。
 こうした現状に県は背を向け、「創造的復興」を掲げて水産特区導入や大企業誘致に力を入れています。被災者の健康問題には目もくれず、被災者の遺伝子データを集積するメディカルメガバンク構想や受療権を侵害する二次医療圏合併をすすめています。
 アベノミクスは被災地をさらに苦しめます。いのちと暮らしを守るために引き続きとりくみます。

名護市長選での勝利
沖縄 松田律子(看護師)

 一月の名護市長選挙は、皆さんの支援で稲嶺進さんを勝たせることができました。平和を愛し、市民目線で市政をすすめる新基地建設反対の市長に、権力を使い、何が何でも基地を押しつけようという政府とのたたかいでした。
 四年前に稲嶺市政が誕生してから、沖縄県内では「新たな基地はいらない」と、県議会や全市町村議会などで次々と基地建設反対の決議が採択されました。し かし、昨年末、県選出の自民党国会議員、自民党県連が公約を破って辺野古基地移設を容認、さらに県知事が埋め立てを承認するなど、政府の圧力に屈し民意を 裏切りました。
 その中での稲嶺勝利は市民の良識と誇りの勝利であり、平和を願う日本中の人に勇気を与えたと確信しています。
 やんばる協同クリニックが名護市に誕生して初めての選挙でした。職員四人、組織担当者一人で不安もありましたが、秋の共同組織強化月間を重視し、県連や 九沖地協の支援も受けてとりくみました。地域懇談会、地域回りで住民と対話、土日返上で、県内の他事業所や県外から駆けつけてくれました。こうした月間や 県外からの支援の受け入れは初めてでしたが、全国の民医連の力に改めて驚きを感じました。
 選挙後は、組合員さんからも「民医連ががんばった」などの声が。クリニックの存在も広めることができました。地元との信頼を深め、稲嶺市長と力を合わせ、平和を守る砦としてがんばります。本当のたたかいはこれからです。

40期の歯科活動
鳥取 中田幸雄(歯科医師)

 保険で良い歯科医療署名は、全国で三四万筆集めました。三度の議員要請、他団体への申し入れなどで、質的に違う広がりができました。日本歯科衛生 士会、技工士会との懇談・賛同、小児科学会のホームページにも掲載。大分県では全市町村議会で意見書が採択されました。『歯科酷書』第二弾は、無低診をと りあげました。初の国会内記者会見も開き、Yahoo!で五万四六〇〇アクセス、社保協や弁護士会でも紹介されました。沖縄では地方紙二紙が報道しまし た。
 経営は四〇期に〇二年以来の黒字化を達成。〇四年に提起した三つの転換「医療構造」「管理水準」「高人件費率」を事業所が真摯に受け止め、実践した結果です。
 口腔ケアは高齢者の死因一位の肺炎予防や介護の重度化予防、入院期間短縮などにつながります。一四年診療報酬では医科にも周術期口腔機能管理が点数化。民医連内の医科歯科連携はまだ弱く、抜本的にすすめる必要があります。
 民医連の歯科医師は今後一〇年で三分の一が定年に。人材育成は急務です。臨床研修施設は一〇カ所ですが新卒の一%も受け入れていません。歯学生の三割が 歯科医師になれず、なっても四人に一人が年収二〇〇万以下のワーキングプア。こうした中、民医連を知らせ、日本の歯科医療を希望の持てるものにするために も、歯科奨学生の獲得を訴えます。また全県への民医連歯科建設も追求します。

みどりのエネルギー条例策定を求める署名運動
島根 錦織美智枝(看護師)

 福島の原発事故で、島根県庁から一〇km圏内の鹿島にある原発が注目されました。(1)島根で原発事故を起こしてはいけない(2)豊富な再生可能 エネルギーを活用し、次代に負担を及ぼさぬよう「島根県エネルギー自立地域推進基本条例」通称「みどりのエネルギー条例」制定を求める運動です。
 運動期間は一〇月二一日から二カ月、松江保健生協も実行委員会に参加。暮れの「病院一〇大ニュース」の第二位となる運動となりました。条例制定の直接請求には、県内の有権者二%以上の署名が必要ですが、一六%にあたる九万筆を集め、全国的に注目されました。
 住民に大歓迎される内容の署名でした。集める人(受任者)を呼び掛けるため三五日間行った外来行動に出た職員は、六〇職場から一九二人。学習も重視し、福島の苦しみとともに署名の趣旨を訴える学習会を九割の職場で実施。職員の六割が参加しました。
 ニュースは五〇号まで毎日発行し、運動の広がりを共有。福島への看護師支援をはじめ、リフレッシュ企画や応援バザーなども。
 民医連の「安心して住み続けられるまちづくり」のため行動する組織であろうとのメッセージは職員に届くと確信しました。今回の運動は、民医連のいう育ちあいの職場づくりの一つとなりました。

3つの委員会で介護職員を育成
長野 山口とよ子(介護福祉士)

 県連介護委員会は六法人一七人で構成、「教育」「若介・確保」「介護ウエーブ」の三委員会に分かれて活動しています。
 若介・確保委員会は、養成校のアンケートをもとに介護職員募集案内のパンフレットを作成しました。介護ウエーブ委員会は昨年一一月に「安心の介護保険制 度を求める県民介護集会」を開催、五四〇人の参加で成功しました。実行委員会を「誰もが安心の介護保険を求める長野県連絡会」(仮称)として発展させまし た。さまざまな団体、個人の架け橋として運動を広げます。
 県連と同じく、上伊那介護部会も三委員会に分かれて活動しています。育成については、介護職の苛酷さを揶揄した3Kではなく、上伊那介護「かきくけこ」(感謝・気配り・工夫・健康・志高く)の5Kの理念を掲げています。
 育成政策は「物語られるいのちの実践」「その方の生きるにどう向き合うか」「いのちの平等の介護実践」「事例にこだわる」などです。目の前の利用者さん を丸ごと捉え、その方は今までどのように生きてきたのか、望むことは何か、最善は何かを共に追求し、共に今を生きることです。
 介護職員の確保は大変で、今年度は兼務ながら介学対職員を配置しました。正規雇用の拡大と永続的な経営を目的に、新給与体系の提案も検討しています。

健診基金を設立し原発被災者を支援
岡山 太田仁士(医師)

 福島第一原発事故被災者の長期的な健康管理のため、「岡山県民医連福島原発事故被災者支援基金」を設立、被災者の費用負担を軽減して健診を実施しています。
 放射線の影響に関しては、継続した健康管理が不可欠です。岡山県内に避難している原発事故被災者は約一二〇〇人ですが、生活基盤が不安定な方も多く、健診の自己負担を軽減できないかと考えました。
 そこで、健診実務に参加していない調剤薬局三社と県連で一〇〇万円の基金を設立。健診の自己負担は通常一回一万円ですが、被災者は同基金に申請すれば五〇〇〇円で受診できます。住民税非課税世帯は無料にしています。
 健診を実施する岡山協立病院と水島協同病院のホームページに基金の内容を掲載、被災者支援団体や県危機管理課の協力で被災者にお知らせしました。この半年で基金を利用した人は六四人でした。
 健診内容は福島県県民健康管理調査に準じ、血液検査や甲状腺機能検査、甲状腺エコーを実施。オプションで甲状腺関連の精密検査を三〇〇〇円で行っており、三七人が利用しました。
 本来なら国や東京電力が被災者全員に無料で行うべきですが、「子ども・被災者支援法」は支援対象地域が限られています。当面、自主的な健診を継続しつつ、国、東電の責任による健診の実施を求める運動をすすめたいと思います。

無低診で見えてきた複雑で困難な生活
埼玉 鹿野睦子(事務)

 二〇一二年八月から大井協同診療所で無料低額診療事業を始めたところ、以前とは比べものにならないほど、複雑で困難な生活背景を抱えた患者さんと出会うようになりました。
 事例の紹介です。高脂血症で当診に通院中の七〇代女性は、他院紹介時にバスの乗り方が分からず支援を開始。収入は月八万円の年金だけで、統合失調症が未 治療だと分かりました。子どもと音信不通でキーパーソンがいないことも明らかになりました。診療所から働きかけ、一五年ぶりに次男が母親と再会。精神科を 受診し生活にも落ち着きが出てきました。
 DV被害を受けてホームレスになっていた四〇代女性は、診療所で住居の確保、生活保護受給、通院援助を行いました。また、診療所の働きかけで生活保護を受給した六〇代の女性は、糖尿病の治療ができるようになりました。
 行政とともに困難を一つひとつ解決することで、患者さんの笑顔を見ることができました。無低診は医療費支援にとどまらず、ていねいに生きること、希望を見出すことにつながると実感しました。

なんでも相談会
職員成長の機会にも
東京 谷川智行(医師)

 中野共立病院と法人の診療所有志で実行委員会を立ち上げ、二〇一〇年一〇月から毎月一回、中野駅前で「街頭なんでも相談会」を開いています。先日で三八回を数えました。
 「最も困難な状況にある人たちと、どれだけつながることができているだろうか?」―。二〇〇八年の「年越し派遣村」に参加後、こうした問題意識を強く 持ったことがきっかけです。当初は冬の寒さに凍え、JRから退去を迫られることも。今では二〇万円で購入したテントを広げ、中野区の正式な後援も受けて駅 前ロータリーで堂々と行っています。
 相談会には、医師、看護師、ソーシャルワーカー、事務ら毎回一〇~二〇人が参加。弁護士、共産党区議も協力し一〇~二〇件の相談を受けています。医療相談だけでなく、複数の分野にわたる複雑なものが少なくありません。
 参加したスタッフから「病院に来ない人のことを知らなすぎる。待っているだけじゃダメだ」「病院では忙しくてイライラしているのに、ここでは『たくさん の人に相談に来てほしい』と思う。なぜだろう」「医療従事者としての原点に帰ることができる」などの声を聞きました。
 活動を通じて得られた大きな財産は、スタッフが元気になったことです。日常業務の中で活き活きとがんばり、社保活動、都知事選などに積極的に参加する職員が増えてきました。
 困難な中にある人々に出会い、向き合うという経験は、特に若い職員にとって自己責任論を乗り越える大きな力になっていると感じます。同時に、「本当に社会を変えなければ」と腹をくくる職員も増えています。

「気づきネットワーク」友の会の存在光る
北海道・小田原剛(事務)

 北海道・帯広市でも孤独死が増え、生活保護世帯では二〇〇九~一二年の四年間で、五六人が亡くなっています。十勝勤医協友の会は二〇一二年から、七五歳以上の単身高齢者と高齢世帯・一一五〇世帯の見守りをしています。ニュース手配り率は八四%です。
 活動が認められ、市の「気づきネットワーク」に参加することになりました。北海道電力や帯広ガス、町内会連合会、老人クラブ連合会、民生委員連盟等と一緒に十勝勤医協友の会も入りました。
 帯広病院と白樺医院は無料低額診療施設として加盟し、市からも相談が寄せられます。八〇歳の女性は息子と同居ですが日中独居でした。高齢者福祉課、包括 支援センター、民生委員の連携で本人と話し、施設入所となりました。入所前に来院。脱水・低栄養で入院が必要でした。心理的虐待の疑いがあり、生活保護を 取得、一カ月の入院後、入所が決まりました。
 友の会会員の大家さんから、「住人が三日間ご飯を食べていなくてフラフラ」と帯広病院に連絡。ガス、水道、電気が止められており、友の会役員と共産党の市議が支援し、生活保護申請ができました。
 七六歳の女性は、三年前に夫が亡くなり独居に。最近、ついに歩行困難となりました。友の会会員でニュースを読んでいたため、困っている人を助けてくれる病院と思って来院し、入院しました。
 友の会組織の存在意義を改めて感じます。最後の拠り所として、共同組織と地域、自治体と協力・連携していきたいと思います。

子どもの貧困でシンポジウム開く
埼玉 川嶋芳男(事務)

 二月一一日、埼玉民医連六〇周年記念事業としてシンポジウム「健やかに育てよう埼玉の子」を開催、三〇〇人が参加しました。朝日新聞の中塚久美子 記者が基調講演。シンポは栄養教諭や養護教諭、県社会福祉課、若者自立支援センターの所長、埼玉協同病院の和泉桂子小児科部長の五人が登壇、熊谷生協病院 の小堀勝充院長がコーディネーターを務めました。
 中塚さんは、「所得と学力の格差に対して、親批判は解決策となるか」「子どもの貧困を放置することが社会にどのような不利益を与えるか」を告発しました。
 シンポでは「急病でも親に連絡しないで」と訴える貧困世帯の子どもの実態や、給食を通して子どもと親、教師が育ちあう実践、県が生活保護世帯へ行う学習 支援事業の成果などを紹介。和泉医師は発達を保障するため子どもの代弁者となること、親育てのとりくみを報告しました。
 実行委員会は当初、高齢化をテーマに考えていましたが、民医連の今後の課題を検討し、子どもに変更しました。県や教育委員会、医師会、JA、私立幼稚園 連合会、学童保育連絡協議会など三二団体が後援。初めて後援をいただいた団体もあります。子どもの貧困問題や子育て支援が県民的な課題であると同時に県連 の課題であることが明らかになりました。
 シンポの最後に小堀院長と中塚記者から、とりくみをネットワークでつなぐ提起がありました。

経営再建のとりくみ
高知 氏原真弓(事務)

 高知医療生協は一病院、四診療所、一一介護事業所の小規模法人です。
 センター病院の高知生協病院は長年黒字にならず、介護事業所も二〇一一年度、一二年度の上半期で大きな赤字を出していました。七億円を超える累積欠損を 抱え、一一年一二月に全日本民医連の経営調査で資金ショート寸前の状態と診断され、経営対策委員会が設置されました。
 高知生協病院では高齢者の急性期に対応するポジショニングを明確にし、在宅療養支援病院を届け出。高知市内の七つの医療機関で構成する強化型在宅支援病 院・診療所グループ「じきいくネット」を結成しました。同市では在宅療養のシェアの半数を超え、じきいくネットからの入院紹介も増えています。また、入院 の受け入れ体制やリハビリ部門の強化などで一日の入院数が一〇二人から一〇七人に増加、長年赤字だった病院が黒字に変化しました。
 介護事業所も「断らない」を合い言葉に利用者を広げ、一三年度は前年比一三〇%の利用者増で黒字化しました。病院、介護、看護など分野ごと検討会や、全 職員対象の学習会の開催、診療所もじきいくネットの牽引車としてがんばり、一三年度一月末で目標の倍の六八〇〇万円の黒字に到達しました。
 経営対策委員会は二月一八日で終了し、当初の状態からは脱しましたが、経営再建はスタートラインに立ったばかりです。全国の支援に心から感謝申し上げます。

貧困と格差に立ち向かう
北海道 加地尋美(看護師)

 県連では、毎年秋の月間に全職員が友の会員と地域に出ています。今年度はのべ三三四〇人の職員が一万七九一四軒を訪問し、四〇〇〇人の会員拡大や 署名集めを行いました。必ず困りごとを聞き、無低診のパンフを置いていきます。事業所の無低診利用者は三七九四人(二〇一二年)でした。
 六年前から、「冬の高齢者生活実態調査」にもとりくんでいます。今年も二〇市町村二六二人を訪問。旭川では二〇人の若手介護職がデイの利用者さん宅の除 雪をしながら調査、灯油高に追い打ちをかける年金引き下げが、高齢者を苦しめている実態が明らかになりました。「昼間も布団に入っている」「暖房は訪問介 護が来るときだけ」などの苦労も聞きました。
 札幌病院では一七年間、助産師が産後訪問を行っています。経済的に困難な妊婦の「入院助産施設」は当院を含め市内二カ所だけ。全体の八割が当院での出産 です。自治体の保健師につなぐ困難ケースも増え、一二年度は一九件、今年度は五八件に。民医連歴の浅い助産師からは「なぜ産むの」という疑問も出ます。病 棟師長が看護研究で母子の環境変化を調べると、未婚率・生活保護率・入院助産率・配偶者の無職率・精神疾患合併妊婦の割合が上がっていました。全国平均よ り非常に高く、民医連の存在意義を確認しました。
 看護部門では二年間、健康権を探求してきました。健康の社会的決定要因の視点でその背景をつかめば職員は自己責任論を乗り越えます。今後も貧困と格差に立ち向かう医療活動を前進させたい。

リハ職員が民医連学ぶために
愛知 亀谷千穂(理学療法士)

 全国の事業所でセラピストが急増しています。若手対象の民医連教育は欠かせませんが、なかなか時間を取れないのが実情です。名南ふれあい病院では「歩数調査」にとりくみ、忙しい中でも専門的な調査を通じて民医連らしい視点を身につける工夫をしています。
 歩数調査は回復期リハビリテーション病棟の患者さんに歩数計をつけてもらい、入院中と入院後の一週間ずつ計測しました。入院中は一日五〇〇〇~一万歩 だった患者さんが、退院後は一日二五~三〇〇歩ということも。入院中の歩数を維持できている人は二割ほどで、背景には外出する経済的な余裕がないことも分 かりました。
 若手職員の意識には自己責任論が強くあり、民医連の理念が伝わりにくい面もあります。一方、専門知識や技術の習得には興味があるため、こうした調査を通じて患者さんの生活背景を捉えてほしいと思いました。
 当院には約六〇人のスタッフがいますが、半数以上が入職五年以下です。回復期リハ病棟は診療報酬上の成果主義が導入され、多くの新人を抱えながら成果を 出さなくてはなりません。若手が若手を教える厳しい環境ですが、こうしたとりくみを保健予防にもつなげていきたいと考えています。

若手の専門研修と中小病院の医師養成
香川 原田真吾(医師)

 高松平和病院は一二三床の中小病院です。若手医師の定着とキャリアアップの課題について、当院の専門研修と家庭医養成について紹介します。
 私は二〇〇四年の入職です。一〇年以上前までは、若手医師は技術獲得のために積極的に専門研修に出かけていました。ところが、相次ぐ医師の退職で専門研修は途絶え、医師不足から病棟も再編しました。
 長らく途絶えていた専門研修を二年前に復活しました。決して余裕ができたわけではありません。地域医療のスペシャリストとして、総合的基礎力を備えた専 門医をバランス良く育成するという方針を医師団会議で積み重ね、民医連内外の病院に半年から一年単位で専門研修に出かけています。私は坂総合病院と神奈川 の県立病院で、呼吸器内科を学びました。
 研修先では研修風景を綴る通信を作ります。研修に出る医師も出す医師も意識しあい、いっしょに頑張っているという気になります。研修から帰ると、病院で果たす役割を再認識でき、新たな風が入ってくるのを実感します。
 家庭医養成も始めています。中四国の家庭医プログラム「レジデンシーせとうち」で、三年目の後期研修医が研修を開始しています。香川県内では家庭医プログラムを行える施設がほかにないので、先駆けのつもりでやっています。
 専門研修再開をきっかけに、医局旅行を定例化するなど、医師集団づくりにもとりくんでいます。医局の朝礼で総会方針案の読み合わせもしました。

民医連で求められる医師の養成について
島根・眞木高之(医師)

 私は不整脈専門医として心房細動のカテーテル治療などを行っています。民医連には、不整脈専門医は私を含め二人しかいません。差額ベッド料を払えないと、不整脈の専門的治療を受けられなくなると、危機感を持っています。
 民医連が領域別専門医を育成する意味は、社会的弱者にも専門的医療を届けるためです。「オール民医連」による領域別専門医の養成の方針は、ぜひとも成功・実現させなければならない課題です。
 私は悪性リンパ腫の化学療法や膠原病の入院治療、末期がんの患者の往診にもとりくんでいます。同一医療圏内で血液疾患を扱う医療機関はただ一つ。他病院 に悪性リンパ腫の患者の入院をお願いした時、「手一杯なので、治療方針を教えるから診てください」と頼まれたからです。地方では領域別専門医が充足してお らず、助け合わないといけません。地方の中小病院の民医連医師に求められるのは、領域別専門医が総合診療の能力も身につけ、専門領域と総合診療の両方にと りくむことです。
 医師の数は増加傾向とはいえ、圧倒的に少ない状況は変わりません。日本の医師数を増やすよう、声を上げ続ける必要があります。領域別専門医と総合診療医 の双方を育てる重要性は方針案に書かれている通りです。さらに求められるのは、領域別専門医が総合診療に、総合診療医が領域別専門にも関わり、お互いが助 け合う、そういう医師の養成です。

医学生たちと医療や社会語り合い
兵庫・福島千尋(事務)

 第四章第五節に、医学対活動の二つの任務((1)日本の医療を良くするために医学生の自主的な活動や運動と共同する、その中で医学生の民主的成長を支援(2)民医連運動の後継者づくり)があらためて重要とあります。兵庫でもこの重要性を感じています。
 一つは震災に関わって。受験生アンケートでは、「東日本大震災が医師をめざすきっかけ」と話す学生が少なくありませんでした。震災発生時には何もできな かった学生たちは「できることはないか」と思っています。たとえばある大学の推薦入試では、五〇人の受験生の九割が被災地支援に参加したいと回答。被災地 ボランティアに参加した学生たちも「復興を妨げているものは何か」と話し合い、社会に目を向け始めています。民医連の医療活動や運動を知らせることが重要 です。
 もう一つは大学の問題です。医学生たちには、大学への不満が渦巻いています。学生の声を聞かず変更されるカリキュラム、やる気をそぐ教員…。しかし「ど うせ変わらない」とのあきらめも。そこで、他大学の医学生を呼び、カリキュラムなどの問題に学生が関わって変えている話を聞きました。結果、医学教育アン ケートを集めるなどの動きも生まれています。
 全国のとりくみを知り、自分たちもできる、と学生が感じることが大切です。全国の仲間と連帯し運動を作っていきたいと思います。

(民医連新聞 第1568号 2014年3月17日)

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