民医連新聞

2002年3月21日

いのちと人権まもれ たたかう列島 ホームレス

「居住地不定」、「可働能力」だけで生活保護受給を認めないのは“不当”

石川・静岡の2つの事例から

 増加するホームレス。最近の調査でも2年間で18%増との報告がされています(厚労省)。昨年3月、厚生 労働省はこの実態を踏まえ、各自治体に「『可働年齢』『居住地不定』を理由に生活保護の対象から外さないよう」通知を行っています。しかし、その徹底は不 十分です。依然としてこの2点を理由に生活保護の申請を受け付けない自治体が存在します。「生保の窓口は『通知』の遵守を」。静岡、石川の二つのケースを 紹介します。

「病院が自助努力を」と相談うけぬ福祉事務所

共立クリニック

資料)厚労省‥生活保護関係係長会議資料では以下のように考え方が明記された。
2 生活保護の適用の基本的な考え方

 生活保護制度は、資産、能力等を活用しても、最低限度の生活を維持できない者、即ち、真に生活に困窮する方に対して、必要な保護を行う制度である。
 よって、ホームレスに対する生活保護の要件については、一般世帯に対する保護の要件と同様であり、単にホームレスであることをもって当然に保護の対象となるものではなく、また、居住地がないことや可働能力があることのみをもって保護の要件に欠けるものではない。(H13.3.2)

 共立クリニックの鈴木弘二事務長が三島共立病院の当直業務にあたっていたのは1月23日。深夜、救急隊より「路上生活者を搬入したい」とSさん(57) が運ばれてきました。「めまいがする」といった症状で、高血圧、糖尿病の入院治療が必要でした。

◇   ◇

 翌24日朝、鈴木さんは、救急隊から福祉事務所宛の依頼書を届けるため、市の福祉事務所へ。
 相談員は「すぐに生活保護とは思わないで欲しい。国保の減免、受領委任払いなど他法を優先せよ」と。鈴木さんは「金銭調査は行った。一銭もないからこち らに来た」と説明。すると相談員は「病院でも自助努力をせよ」と。「金銭のある無し問わず、病院は救急車を受け入れている。自助努力を言うなら、金の無い 病人は受け入れを断ってもいいと言うのか」と問う鈴木さんに、相談員は「そうだ。路上生活者の家族、知人の調査は行ったのか。こういうケースが次から次へ 来ると市の財政は破綻してしまう」と暴言。当日は保護課長が不在で、翌25日に共産党市議団立会いのもと、課長、補佐、担当者を呼んで交渉を行いました。
 厚生労働省は2001年3月、生活保護関係全国係長会議文書「ホームレスに対する基本的な生活保護の適用について(通知)」で「居住地がないことや可働 能力があること」は「保護の要件に欠けるものではない」として、ホームレスを生活保護から排除しないことを明確にしています。
 鈴木さんはその厚労省の通知をもとに、住所不定・可働年齢でも生活保護の制度から排除されないと主張しました。
 しかし、市の福祉事務所側は通知の存在を知らないばかりか、静岡県に問い合わせても「県の担当者は『居住地を決めないと保護費を持っていくにも困る。通 知は現実的でない』と言っている」と、当初は突っぱねました。しかし、交渉の中でようやく厚労省の通知の意義と生活保護申請を認めさせ、Sさんは通知に基 づく「急迫保護」となりました。

前言翻し、さらに「転院」迫る保護課担当者

 Sさんは入院中にインスリン自己注射を開始しており、血糖コントロールとネフローゼ症候群の予後が良好ならば退院可能となります。しかし、白内障は他院での手術を要し、透析が必要ならば転院しなければなりません。
 3月に入り、入院中のSさんの対応をひき継いだ曽根あさ美さん(三島共立病院SW)が、退院後の生保申請書を受け取りに福祉事務所を訪れました。しか し、保護課の担当者は「保護の確約などしてない」と前言を翻し、しかも、訪れた曽根さんに再び、「病院はもっと努力を。税金を使っているのだから、すぐ生 活保護などと考えるな」と。そればかりか「Sさんはいつから働けるのか」「早く転院させろ」の一点張り。その日は申請書を受け取れませんでした。
 鈴木さんは「保護課が執拗に転院を迫るのは、ホームレス患者の生活保護受給を迫る三島共立病院からSさんを引き離そうとする意図すら感じる」と怒りま す。「Sさんが就労可能となるまでの生保受給を認めさせるために交渉を続けます。厚労省の通知に県が現実的でないとソッポを向き、市はその通知の存在を全 く知らぬ状況。全国でも同様の問題があるはず。通知の存在と運動を知らせるとりくみが必要」と語りました。

母子4人で転々と野宿生活に

城北クリニック

 「一家4人が厳しい冬をテントで暮らしていた」。金沢市・城北クリニックから、野外生活の母子を援助した経験が寄せられました。

*   *

 Fさん一家は昨年夏から市内の河原で野宿していました。長男が事業に失敗、借金を返すあてもなく金沢へ逃れてき ました。母親と成人した2人の息子、末の子はまだ中学生です。週に2、3回見つかる土木作業の日銭を長男が稼ぎ、やっと生活していました。ケースワーカー の黒岡有子さんが同クリニックの患者・市谷光子さんを介してこの相談を受けたのは1月末。厳しい寒さのもと、体調不良を訴えるFさんと中学生の子のことが 気にかかり、すぐFさんのもとに走りました。
 「雪が積もった田んぼの中にぽつんと立つ納屋にテントを張っておられました。ビニールで隙間風を防いでも寒くて、コートを着たまま事情をうかがったんです」と黒岡さん。
 納屋を住所にして生活保護を申請。市職員は一貫して消極的な対応でした。納屋を見ても「窮迫と感じられない」「上の息子は働ける年だから、保護対象にな らない」。「水道も電気もガスも、トイレさえないところから子どもを中学校に通わせるのか?」「働ける年でも、仕事が見つからないのだから、急いで救済 を」と押し切り申請をみとめさせました。
 当座の生活用品や中学校の制服などは診療所の職員が持ち寄りました。家は診療所とつきあいのあった不動産業者に頼みこみ、敷・礼金の後払いも交渉し確保することができました。

*   *

 「一度野宿の生活に落ちると、もう戻れない。寒さに耐えながら行き場もなく『次はどこで寝ようか…』と、転てん とするのは本当に辛かったです」と、Fさん。暖を求めて毎日立ち寄っていたレジャー施設で、顔見知りになった市谷さんが納屋や布団の世話をしてくれなけれ ば「凍え死んでいた」といいます。
 それでも役所の助けを求めなかったのは、過去の経験が原因。離婚後、入退院を繰り返す病弱な子どもたちををかかえたFさんに「貯蓄してないからそんな目 にあうんだ」「制度は税金でまかなっているものだ」と2度追い返されました。「お金がないだけでこんなにバカにするのか」2度と足を向ける気になりません でした。

*   *

 石川民医連では従来からソーシャルワーカー部会が困難な患者のケースの解決をもとめ独自に対市交渉を行うなど、ねばり強い努力を行ってきました。
 「これまでのソーシャルワーカー部会の働きかけで、市もいいかげんな対応ができなくなっている。診療所の患者さんに出あえたFさんは、運が良かった」と黒岡さん。
 全国の例にもれず、金沢市内でもここ数年で野宿生活者が増加。同部会の問い合わせに、同市生活福祉課は、行旅病人の申請が96年度13件から2001年 度114人と3桁に激増していると回答しています。生活保護の相談件数も96年―00年で300件増。いっぽう、生保申請の開始件数は横這いにとどまって います。
 城北病院のホームレスの入院患者(27件)調査でも、生活困窮の原因が「病気13」「失業9」という結果が示すように、ホームレス患者に多い50、60 歳台は、解雇や体調不良で仕事を辞めざるをえなかったケースがほとんどです。しかし、生活保護の窓口では六五歳以下を「働ける年齢(可働年齢)」とみな し、就労指導をするだけで、生活保護申請を受けつけない傾向が。その結果前述の調査でも10件が「ホームレスに戻った」という転帰が明らかになりました。
 行政はホームレスの生活保護の適用を現実に則して運用すべきです。

*   *

 13日、Fさんは黒岡さんにつきそわれ息子の中学卒業式を見守りました。「今の生活が夢のよう。私たちと同じような扱いを受ける人をもう出したくない。役所は困った人を『門前払い』しないでほしい」。

(民医連新聞 第1271号 2002年3月21日)

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