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2014年6月2日

リアル社会を生きるゲイ職員の性講座(5) 文・杉山貴士 山宣の性教育<その1>性教育から政治へ

 山本宣治(山宣)と言えば、映画「武器なき斗い」(山本薩夫監督)や小説『山宣』(西口克己著)を思い出す方もいるでしょう。彼の「山宣ひとり孤 塁を守る、だが、私は淋しくない、背後には大衆が支持してゐるから…」は有名です。今回は政治家になるに至った山宣の性教育についてです。
 山宣は明治憲法公布の1889年に生まれ、1929年、世界大恐慌の年に暗殺され40年の生涯を閉じました。幼少期は病弱で中学校は中退。静養の後、単 身カナダに渡り苦学の末に帰国、旧制高校を遅れて卒業し東京大学で動物学を専攻します。
 大学では「イモリの精子」を研究。研究対象は、イモリから次第に人間の性へ変わっていきます。同志社大学や京都大学で「人生生物学」の講義を始めました。
 例えば「自慰」について。当時「手淫」との呼び方が一般的で、人体に有害だと考えられていました。山宣は「自慰」の言葉を普及させ、自慰無害論を展開。 また東大生の男子を中心に約500人への性体験調査を実施。エリートの半分以上が、初体験の相手は売春に従事する女性だったと分かりました。当時の男子学 生のセクシュアリティや女性蔑視の社会状況を映した結果でしたが、大学で猛烈な抗議を受けました。
 山宣は、性を科学的に、両性の平等の上で自立的なものとしてとらえました。性欲予防教育から脱却し、性教育を科学と自立の性教育へと進化させようとしたのでした。
 女性用の避妊具「ペッサリー」を普及したマーガレット・サンガー女史が来日した際は通訳を務めました。「貧乏人の子だくさん」の農民や労働者の中に入り、男女平等の視点で積極的に産児制限運動をすすめます。
 産児制限を禁じたり、「自慰」を有害と教育したり、性を国家が管理することが当然だった時代に、山宣は人間の(性的)自立をめざす性教育をすすめまし た。性への探求は社会のあり方や政治と密接に関係すると考え、政治の世界へ舵を切ります。
 「性と社会とのかかわり」について、次回で詳しく考えてみましょう。


すぎやま・たかし 尼崎医療生活協同組合理事会事務局課長、法人無料低額診療事業事務局担当、社会福祉士。著書に『自分をさがそ。多様なセクシュアリティを生きる』新日本出版社、『「性の学び」と活かし方』日本機関紙出版センターほか

(民医連新聞 第1573号 2014年6月2日)

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