MIN-IRENトピックス

2019年10月4日

理事会(2019年9月)藤末会長あいさつ

 9月19日、東京電力福島第1原発事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東京電力の旧経営陣3被告に対し、東京地裁判決で永渕健一裁判長は、無罪(いずれも求刑禁錮5年)を言い渡しました。最大争点の原発の敷地高10メートルを超える大津波の襲来予見が議論になっていましたが、政府による長期評価や東電社内の担当部署からの提言を無視したにもかかわらず、襲来予見可能性について明確に地裁は否定をしました。最終的には、法律は絶対安全性の確保まで前提としていないと述べて、予見可能性の有無にかかわらず刑事的に無罪であると、最初から無罪を決めていたと思われる論理展開です。そして、事故を回避するためには、運転停止措置を講じるほかなかったと根拠を示さずに断定をした上で、それは旧経営陣の3被告にはできなかったと結論づけたわけです。裁判所の威信を自ら捨てるような判決としか言いようがありません。

 検察官役の指定弁護士5人は、「国の原子力行政に忖度した判決だ」と批判をしています。また、刑法専門家の船山泰範弁護士(日本大学法学部・法科大学院名誉教授)は「これで刑事責任を問えないなら、現行法の限界である」、川崎友巳氏(同志社大学法学部教授)は「個人責任を問えないなら個人罰ではなく、企業の組織罰というものを法的に導入をしなければならない」とコメントをしています。

 報道されている判決の要旨では、「刑事罰は横に置いたとしても、事故の結果は誠に重大で取り返しの付かないものだ」という一文以外は、原発事故の被害者についての記述がまったくありません。その悲惨な実態への思いもまったくみられません。かつ、仮に刑事責任がないとしても企業の社会的責任への言及もまったく判決文にはみられません。まさに、原発事故被害者の個人の尊厳、人権の視点が欠落しています。

 一方で、樋口英明氏(元福井地裁裁判長)が大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じた判決文を、今回の判決文と見比べてみるのが大事だと思います。反核医師のつどい(9月14日~15日・京都)で、樋口英明氏の講演「原発の法的問題と日本の司法制度の課題」がありました。今まで原発の運転差止判決を下した裁判長は2人、差止めなかったのが18人で、裁判のありようとして、高度に技術的に専門的な問題について、裁判所というのはジャッジメントをなかなかできないという慣例があるというお話がありました。自分としては、この件は高度な技術的問題ではなく、まったく単純な問題であり、判決内容にまったく迷いはないと言われました。

 加えて、大飯原発の運転差止を命じた判決文の最後にある「被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」というくだりを付け加えられた理由を問う質問が出されました。樋口氏は、「主文に載せるべきものではないかもしれないが、しっかり言っておくべき社会的責任が裁判所にはあり、国民に伝えたかった」とおっしゃっていました。

 このように、大飯原発差止を命じた判決文に比べ、今回の判決文がいかにひどい内容かと認識しておく必要があると思います。特に、キーワードは、被害者の個人の尊厳、人権が大事だと思います。刑事罰を問わないとしても、企業の社会的責任がどのようなものかについて、反省を求めていきたいと思います。

リング1この記事を見た人はこんな記事も見ています。


お役立コンテンツ

▲ページTOPへ